146: 運命の一夜3





 ユリアは立ち上がると、短剣の切っ先をジェドへ向けた。
「一応聞いておいてやるが、何の真似だ」
 低い声がユリアに問う。手が震えそうになるのを、もう片方の手で必死に押さえた。
「愚問だな、見ての通りだ」
 精一杯の虚勢に、ジェドはふんと鼻で笑った。
「この俺を殺そうとでも言うのか、その短剣で? 冗談としか思えんな」
「うっ五月蝿い!」
 ユリアは剣をジェドに向かって振り下ろす。ジェドはベットに腰掛けたままの体勢で、難なくそれを避けた。
「酔い潰せば殺せるとでも思ったのか。フィルラーンが暗殺者の真似ごととはな」
「ああそうだ、そうでなければお前などと共に酒を飲みたいと思うものか。私はお前が憎い、お前を殺せるのならば、フィルラーンの地位など捨てても構わない!」
 ユリアは再び剣を振り上げたが、その手はジェドに掴まれた。
「……そんなに、この俺が憎いのか。お前までこの俺を忌むのか、ユリア」
 その目は凍てつきそうな程に暗く、殺される覚悟でいるにも関わらず、恐怖にぞっとした。
 だがここで怯む訳にはいかない。ユリアは心を無理矢理奮い立たせて、ジェドを睨み付ける。
「離せ、お前に触れられていることに、一秒だとて我慢していられない」
 振りほどこうともがくと、ジェドはあっさりとユリアの手を解放した。彼の瞳に宿る暗い闇が、ユリアをじっと見上げている。
 嘲りや非難、それに怒りの目を向けられることは今までにも幾度もあったが、これ程に深い闇を宿した目を向けられたことは初めてだ。軽蔑しただろうか、私を。
「いいや、触れられるだけではない。もうお前と同じ場所で息をすることすら忌まわしいのだ」
(―――――さあ、私を殺せ)
 ユリアは再び剣を構えながら、心の中で叫んだ。
 自分勝手にお前を排除しようとする、この私を殺せ。そうすればお前は国王軍から解放される。両親のいるあの村へ帰る事が出来るのだ。
 そして私は、これでやっとお前の憎しみから解放されることが出来るのだから――――。

「分かった」
 ジェドは料理と酒が乗った小さなテーブルを脇に退かし、目を細めるとそう言った。
「殺したければ、殺せばいい」
「―――――え?」
 何を言ったのか、理解できなかった。
 殺したければ、殺せばいい? どういう意味なんだ、それは。
「その小さな剣でも、ここを突き刺せば一発で殺せるぞ。まあ、俺を嬲り殺したいのなら話は別だがな」
 左胸の内側辺りを指差しながら、面白そうに言う。
「なっ何を言ってるんだ」
 何を言っているんだジェド。いったい、何の話をしているんだ?
 頭が真っ白になっていると、ジェドは小さく舌打ちした。
「何を呆けている、この俺がお前に大人しく殺されてやると言っているんだ。ここまできて怖気づいたのか?」
 殺されてやる。誰が、誰に? ジェドが、私に?
 そんな馬鹿な。
「ジェド、どうして」
 何故こんな話になるんだ? 私がジェドに殺される筈だったというのに、なぜこの男は剣を手にしないんだ?
 油断させで返り討ちにしようとしているのだろうか。だが油断も何も、どれだけ私が本気を出そうとも、ジェドに傷ひとつさえ付けることも出来ぬだろうに。
「からかっているのか、ジェド。それとも本気じゃないと思っているのか? 私は、本気でお前を殺そうとしているんだぞ……!」
「別にからかってなどいない。殺されてやると言っているのだから、つべこべ言わずその剣を俺の心臓に突き刺せばいいんだ」
 訳が分からない。それは本気で言っているのか?
 殺されてやるなどと、ジェドがどうしてそんなことを口にするのか、その思惑がまったく読めなかった。
 だがジェドが言葉通りに大人しく殺される訳が無い。何を考えているのか分からないが、剣を向ければきっと次も避けるに違いないのだ。
「ジェド、ではお前の言う通りにしてやる。覚悟するがいい……!」
 ユリアはもう一度剣を頭上に掲げると、ジェドが指差す心臓へ向け、振り下ろし――――。
 そして、直前で止めた。
「な…んで、避けないんだ、ジェド」
 ジェドはぴくりとも身体を動かさなかった。ユリアが手を止めなければ、本当にこのまま短剣は彼の心臓を貫いたのではないか。その恐怖に背筋が凍りつく。
「お前こそ、なぜ手を止めた」
 どこか不服そうにジェドは言う。なんなんだ、何故、どうして。この男は本当に私に殺されようとしているのか?
 こんなことは想定していなかった。そもそもジェドを殺す気など微塵も持ってはいないのに、私は、どうしたら良いのだろう。
 手の中の短剣が急に恐ろしいものに変貌したように感じられ、ユリアは思わずその場に放り出した。きん、と鋭い音を立て、床に転がる。
「どうした、殺らないのか。この俺を殺したいのではなかったのか? それとも、その手を血に染めることで、フィルラーンの座を失うのが今更惜しくでもなったのか」
 ジェドは皮肉気に言うと、再びその目に闇を宿らせた。
「―――――ならば、その未練を無くしてやろうか」
「え……?」
 ベットから立ち上がると、ジェドはユリアの横を通り過ぎ、そして部屋の扉をゆっくりと閉めた。
「フィルラーンで無くなれば、お前はこの俺を殺せるんだろう?」
「何を……言ってるんだ、ジェド」
 思わず一歩後ずさるユリアの体を、ジェドは捕らえた。そしてそのまま彼女の身体をベットへ押し倒すと、覆いかぶさるように馬乗りになる。
「ジェド、何を――――」
「俺の命はお前にくれてやる。その代わり、お前は俺が貰う」
「ジェド……っ!」
 ジェドはユリアの胸元のリボンを解き、強引に肩から服を下ろした。露になった胸元に顔を埋めると、谷間に深く口付ける。
「待って、何で。ジェドっ嫌だ、こんなの―――」
 抵抗するユリアの言葉を奪うように、ジェドは己の唇で彼女の唇を塞いだ。舌がユリアの口内へ侵入し、彼女の舌を絡めとろうとする。息つく暇も無いほどに繰り返される激しい口付けに、気が遠くなりそうだった。
「まっ…嫌、嫌だ、ジェド……!」
 顔を背けようとしたが、ジェドに顎を掴まれ引き戻された。再び唇を塞がれ、そしてジェドの手がユリアの胸を弄る。敏感な所を摘まれ、ユリアはびくんと身体を震わせた。
「んっ……や、ジェド、嫌っ止めて……!」
 死は覚悟していたが、こんなことは覚悟していなかった。
 その胸に抱きしめられたいと願ったこともあったが、それはこんな形ではない。私のことを愛してもいないのに、憎んでいるのに、傷つける為だけにこんなことをされているのだと思うと、悲しくて、苦しくて堪らなかった。
 暴れようともがいたが、屈強な身体はびくともしない。ジェドはユリアの両足の間に身体を割り込ませ、足を開かせた。そしてスカートの裾を捲り、剥き出しになった足に手を滑らせる。
「どうして、ジェド。こんな風に私を傷つけたい位……そんなに私が憎いのか」
 言葉と共に零れる涙を、ジェドが舐め取った。
「……何を言っている。俺を殺したいほど憎んでいるのは、お前の方だろう」
 耳元に低い声が響き、そのまま彼女の首筋にジェドは舌を這わせた。
「わ…私は……」
 お前を憎んでなどいない。憎んでいる振りをしてきただけだ。罪悪感から逃れる為に、己を偽りお前の近くに居る為に。
 けれど今更そんなことを口には出来ない。言ってしまえばジェドは、ユリアを殺すことを躊躇ってしまうかもしれないのだ。
「ジェド……お願いだ、私を殺してくれ……」
「何…?」
 太腿を這うジェドの手がぴたりと止まった。
「こんなことには耐えられない。ジェド、私を殺してくれ。それで全てが終わるんだ」
 涙を零し許しを乞うユリアを、ジェドは見下ろした。その顔はどこか虚ろで、感情が読めない。
「俺に抱かれる位なら、死んだほうがマシということか。……そうだろうな、触れられることに一秒たりとも我慢出来ぬ相手なのだからな」
 ジェドは口の片端を吊り上げた。
「そうではない」
「お前がさっきそう口にしたのだろう」
 そうなのだが、自分が口にした言葉を返されて、何故だがユリアは傷ついた。誤解されたくない。自分の気持ちを伝えてしまいたい。
 殺される為にここへ来たというのに、支離滅裂だ。
「お前だって、私のことを愛してもいないくせに、こんなことを……酷いじゃないか」
 思わず口にしてしまった、ユリアの本音の一片だ。
 言った瞬間に後悔した。ジェドに殺される為に今己が口にするべき言葉は、こんな言葉ではない。
「………………愛?」
 ジェドが呟くように言った。
 何を言っているんだと、嘲りの言葉が続くことを想像した。何を甘いことを、何を夢見ているんだと。二人の間にそんなものは存在しないのだから。
 だがジェドが紡いだ言葉はそのどれでも無かった。ユリアは目を見開いた。

「―――――――――俺は、お前を愛している……」












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