140: 証言者2





 フィルラーンの塔に呼び出され客間に通されたバルドゥルは、ユリアの前に深々と頭を下げた。
「久しぶりですねバルドゥル。怪我はもう良いのですか」
「はい、あの時ユリア様に止血して頂きましたお陰で、出血も少なく傷口もすぐ塞がりました故」
 この通り全く問題ありません、と傷を負った所を拳で叩いてみせる。ティヴァナで刺客に襲われた時、ユリアを守って負った傷だ。大事に至らず安堵した。
「そうですか、それならば安心しました」
 ユリアは椅子を勧めたが、バルドゥルはそれをやんわりと断り、テーブルを挟んだ反対側に立ったままでいる。
「ところで、ご用件はどのようなことでしょうか。傷の具合を聞かれる為だけに私をここへお呼びになったのではないでしょう」
「ええ」
 呼ばれた理由など初めから分かっているのだろう。前置きはいい、とばかりのバルドゥルに、ユリアは単刀直入に問うことにした。
「なぜティヴァナでクリユスを見たなどという嘘をついたのですか」
「嘘、ですか。これは心外ですな、私は偽りなど申してはおりませぬが」
 眉ひとつ動かさず、バルドゥルはそう口にする。
「ではあくまでクリユスの姿を見たと、そう主張するのですか」
「それが事実ですから」
 側近の上官を糾弾することに少しの迷いも見せぬバルドゥルを、ユリアは見詰めた。彼の内にあるどんな機微も見逃さぬように。
「いいえ、バルドゥル。クリユスはティヴァナへ来てはいません。フィードニアを裏切ってなどいないのです。それが事実であり、真実です。恐らくあなたは似た誰かをクリユスと見間違えたのでしょう」
「ユリア様、それは」
「いいですか、バルドゥル。フィルラーンの私が、見間違いだと言っているのです」
 バルドゥルの反論を遮り、ユリアはフィルラーンの名を笠に着せて脅しの言葉を口にした。
 これで引くのなら良い。だが引かぬのならば……。
 息を詰めて見つめていると、バルドゥルは少し驚いたように、そして少し困ったように苦笑し、ゆっくりと首を横に振った。
「残念ながらユリア様、私は見間違いをしておりません。私がティヴァナで見た方は、間違いなくクリユス殿です」
 はっきりとそう断言するバルドゥルに、ユリアは手をぎゅっと握りしめた。
 ―――――王だ。バルドゥルにその証言を口にさせているのは、クルト王なのだ。
 フィルラーンの名で圧力を掛けたにも関わらず、それでもなお証言を曲げぬのならば、それはフィルラーン以上の地位にいる者から指示されているからに他ならない。つまりそれは、王族の人間しかいないということだ。
 よりにもよって王がクリユスを排斥しようとしている。その真意を測ることは、そう難しくは無かった。
「クリユスをティヴァナの間諜に仕立て上げ、それを口実に攻め入るつもりですか。ティヴァナとの同盟など、王は初めから破るつもりだったのですね」
 挑むようなユリアの視線を受け、バルドゥルは諦めたように溜息を吐いた。
「これは……城に初めて来られた時は、世間知らずの籠の中の鳥のようであられたのに、いつの間にか逞しくなられたものです」
 そう呟くと、少し楽しげに口の端を上げた。
「ですが間諜に仕立て上げるというのは正しくありませんな。あの方がティヴァナに通じていたのは事実、それを少し利用しようというだけのことです」
「それは、違うと先程から言っているではありませんか」
 その事実だけは認める訳にはいかない。どうあっても否定しようとするユリアの言葉を遮るように、バルドゥルは首を横に振った。
「違いませんよ、隠さなくとも結構です。何故なら私は初めから彼がティヴァナの間諜であることを知っていたのですから」
「え……」
 すっと背筋が凍りついた。初めから? いったい、それはどういうことなのか。
 底知れぬ不安がユリアの胸の中に押し寄せてくる中、バルドゥルは構わず続けた。
「いえ、知っていたというのは語弊がありますかな、初めから疑っていたと言った方が正しい。クルト王は慎重な方です。そういう可能性を考慮に入れ、それでも彼を泳がせてみたのです。するとどうでしょう、彼はフィードニアを強くしようとしました。それこそティヴァナと釣り合う程に」
 バルドゥルは一歩前に足を動かすと、テーブルを指でとんと叩いた。そしてユリアの顔を覗き込む。
「ティヴァナは弱っているのでしょう。我がフィードニアの助けを必要とする程に」
「―――――」
 足が震えた。椅子に座っていなかったら、きっと後退っていただろう。
 何もかも、知っていたのだ。クリユスがフィードニアへ来た理由も、ティヴァナの事情も。知っていて皆を利用し、今切り捨てようとしている。
「……お前は、誰だ。ただの小隊長などではないだろう」
 ユリアの問いに、バルドゥルはにこりと笑った。
「買い被りです、私はただの小隊長に過ぎませんよ」








 ブノワは居心地悪そうに肩を揺すると、大きな体を小さくさせて勧められた椅子に座った。国王軍一番の古参とはいえ、フィルラーンの塔に入った事など数えるほどしかないのだろう。
「忙しい所をわざわざ呼び出してしまい、申し訳ありませんね、ブノワ」
「は、いえ。丁度休憩しておりました故、問題ありません。して、わしに…いや私に聞きたいことというのは」
 ダーナが入れた茶には手を付けず、早々に本題に入ろうとする。どうやら用件を済ませ、早くここから辞したいようだった。
「単刀直入に言うと、クリユスとラオのことです」
「ああ……」
 ブノワは眉間に皺を寄せる。
「そういえばユリア様の推薦で国王軍に入ったのでしたな。幼少の頃ティヴァナであの者達に世話になったのだとか」
「その事に関して、責任逃れをするつもりはありません。ですが二人がティヴァナの間諜であるというのは誤りです、二人が今までフィードニアにどれだけ尽くしてくれたことか……」
「いや、分かっております」
 ユリアの言葉を遮り、ブノワは溜息を吐く。
「私もあ奴らがここへ来た時は散々疑ったものでしたが、今では信頼に足る人物だと思っております。あの者達がいなければ、フィードニア国王軍はここまで大きくなってはおりませぬ。二人の我が軍への貢献度は高い、それは皆十分解っておるのです。しかし……」
 ブノワは口を閉ざし黙ったが、その続きは言わなくとも分かった。
「メルヴィンの持つ王の委任状ですね」
 ユリアの言葉に、鎮痛の面持ちで頷く。
「左様、それの存在のせいで我等も手が出せずにおるのです」
 心底悔しそうに言うブノワに、ユリアの心が幾分軽くなる。クリユスの側近だったバルドゥルが彼を糾弾する側に立った今、二人を信じる者などこのフィードニアに居ないのではないかと不安だったのだ。
 二人を信じ、助けたいと思っている者たちが自分以外にも居る、それはユリアを勇気付けた。
「バルドゥルが証言した内容は嘘です、彼がクリユスをティヴァナで見た筈がありません。そしてその嘘の証言を言わせているのは、クルト王だと私は確信しています」
「なんと」
 ブノワは驚いたように目を見開いた。ユリアは更に続ける。
「王は同盟の約定を違え、ティヴァナへ攻め入るつもりなのではないでしょうか。だからそのきっかけとして、二人を使おうとしているのです」
「ううむ……確かに国王軍の要職に就く者が同盟相手の間諜だったとなれば、そもそもその同盟自体が揺らぐ事実。攻め入る口実にはなりますな」
「あの……」
 ブノワが渋い顔をしていると、今まで黙って後ろで控えていたダーナが声を割り込ませた。
「けれど今ティヴァナへは、王の従兄の娘を嫁がせる手筈を整えている所だと聞きました。そのような折にそこへ攻め入るなんてことを、するのでしょうか」
「そうなのですか」
 そういえばジェドがティヴァナにユリアを迎えに来た時にも、そのような事を言っていた気がする。それが本当ならば、推測が間違っていたということなのか。
「いや……」
 顎髭に手をやり、少し考えるようにしていたブノワが首を横に振った。
「クルト王の場合、血族を人質にするから攻めぬという論は結べぬと思いますな。ユリア様はクルト王が元々先王の三男として生まれておることはご存知ですかな」
「ああ…はい」
 そういえばラーネスに居た頃に、そんな話を耳にしたことはある。だがそれがどうしたのかと首を傾げると、ブノワは幾分声を顰めて続けた。
「実はクルト王が即位する前に、ほんの短い期間ではありましたが、長兄が一度即位しておるのです。ですがクルト王は長兄を殺してその座を簒奪し、更に次兄は遠く東の地へと追放させたと聞いております。表向きには共に流行病だと公表しておりますがな。目的の為なら血族の情も捨てるお方故、今回の同盟もその気になれば簡単に人質の命など切り捨てるでありましょう」
「そう、なのですか」
 恐ろしい方だとは思っていたが、実の兄にまで手をかけるような非情な人なのだ、クルト王は。ならば本当に、いつフィードニアが同盟を破りティヴァナへ攻め入るか、分からぬではないか。
「その話は初めて聞きました。その頃の事を知る者は、国王軍の中にももうあまり残っていないのでしょうね。……バルドゥルはそのことを知っているのでしょうか。知っていたらのならば王の命とはいえ、あのような嘘の証言をつくことはさぞ心苦しいことでしょう」
 さり気無くバルドゥルについて探りを入れようとすると、ブノワは意外なことを口にした。
「いやいや、知っているも何も、クルト王と共に長兄を襲撃した者の中の一人に、確かバルドゥルも入っていた筈ですぞ」
「え?」
 目を見開くユリアを余所に、ブノワは昔に思いを馳せているのか遠い目をした。
「クルト王がまだ王子であった頃、あの方は少しの間ではありましたが、国王軍の総指揮官に就いていたのです。その頃の国王軍は完全に血統主義を基本とし形成されておりましたからな。その時バルドゥルは王子の側近のようなものでした。クルト王が即位なされた後は王の護衛隊に行くものと思っておりましたが、そのまま国王軍に残されることになり、肉親の次は共犯者まで切り捨てたかと噂されたものです」
「王の、側近……」
 ぞくりと背中に冷たいものが走った。そういうことか。
 切り捨てられたなどとんでもない、バルドゥルは今でも王の側近なのだ。クルト王が即位して後、ずっと王の目となり手足となり、国王軍や貴族の者達を監視していたのだ。
「ありがとう、ブノワ。有意義な話が聞けました」
 ユリアは立ち上がると、ブノワを見送り客間を出た。
 もしかすると、クリユスはこの事を知っていたのではないだろうか。知っていて、だからこそバルドゥルを傍に置いたのではないか。バルドゥルが止めぬ限りは進んでも良いのだと、王の意思を図り羅針盤とする為に。
 そしていつかは静止の声が掛かることさえも、知っていたのではないだろうか。
「やはりクリユスに何としても会わなくては」
 呟くように言うユリアに、ダーナは頷いた。
「そうですね、どうにかしてお二人にお会い出来る方法を考えましょう」
 会って真意を確かめねば。そうしなければ、この嫌な予感を止められない気がした。












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