137: 煽動





「クリユス、しかしそれは……」
 ブノワは眉間に皺を寄せ黙り込んだ。周りを気にするように目を動かすと、自慢の顎髭を落ち着かなく撫でつける。
 兵舎の食堂の片隅で、クリユスはハロルドにしたのと同じ話を、彼に告げた。その反応は予想通り歯切れの悪いものである。それもそうだろう、ことは国王軍総指揮官の座に関することなのだ、例え現総指揮官に不満を持ち合わせていたとしても、そうおいそれと賛同を口に出来るものではない。
 しかしブノワは元々尊貴派、つまり国王軍は貴族のみで形成されるべきである、という血統を重んじた思想の持ち主である。クルト王の治世で平民でも国王軍に入軍出来るようにはなったが、それでも上級将校位は貴族が成るべきだというのが本音であろう。ジェドの持つその圧倒的な実力ゆえに、彼が総指揮官であることを否定出来ずにいるが、決して快く納得してきた訳では無いのだ。
 無論ハロルドも元々フィードニアと敵対し、そして敗国となった国の兵士である以上、こちらも手放しに受け入れるという気分にはなれぬだろうが、それでも血統は悪くない。既に没落してはいるようだが、元を辿れば貴族位の家系の者である。ブノワがどちらの方がマシだと考えるのか、推測することは難しくなかった。
「ブノワ殿が戸惑われるのも分かります。ジェド殿以外にフィードニア国王軍総指揮官に相応しい者などいない、皆今までそう思ってきたのですから。しかしご本人がその座を好んではおられないのでしたら、我らにお引止めする権利などありません。違いますか」
「それが本当なら、そうだが……。クリユス、それは確かなのか。本人がそう仰っているのか」
「御本人に直接確かめた訳ではありませんが、しかしそう思えば今までの彼の態度にも得心が行くというものではありませんか。軍務会議ではやる気なく一切の発言も為さらず、戦場で総指揮をお執りになる訳でもない。更には戦後処理にも全く関与しておりません。これらは本意で無く軍へ留め置かれていることの現われではないでしょうか。そしてその事で兵士達の間に不満が募っているのも事実。ならばここは退いて頂いた方が双方の為といえましょう」
「ううむ……」
 戦後、ジェドに不満を募らせ始めている者達の筆頭が、このブノワであることをクリユスは知っていた。だがそれには知らぬふりをし、あくまで一般論として語る。
 実のところその不満を密かに煽らせているのも、このクリユスの仕業であったりはするのだが、例え彼が皆をそそのかしたりしなくとも、いずれは同じような不満が湧きだしたことだろうと思えた。人知を超える大きな力など最後は人々の手に余るのだ。時期が早いか遅いかの差くらいのものである。
「よくよくお考え下さい、では、私はこれで」
 言うだけ言って、クリユスは席を立った。
 言葉を濁してはいるが、いざその時になればブノワはこちら側に立つだろう。
 騎馬隊大隊長フリーデルと歩兵隊大隊長ブノワ、その二人をこちらに抱き込んでいれば、ハロルドの擁立は難しいことではない。あとはジェドを支持する者達が、煩く騒がぬようにするだけだ。
「おい、クリユス!」
 そう思っていた所に、その煩い男の筆頭が現われた。廊下の奥からずんずんとこちらに歩み寄ってくるその男は、既に怒りの色を顔に貼りつけており、最初から喧嘩腰である。
「最近こそこそと動き回ってるみたいじゃないか。ええ、それはジェド殿のことか、やっぱりやるんだな」
 いずれクリユスがジェドの排斥に着手することは、ラオも知っていたことだ。その時が来たのだと悟ったのだろう、そして宣戦布告をしにきたという訳だ。
「分かってるだろうが俺はジェド殿の側に付く。あの人を国王軍から追放なんかさせねえぞ、いざとなればお前と剣を交えてでも、止めてみせる」
「おいおい、物騒なことを言うなよ、親友」
 真剣な顔で詰め寄るラオに、クリユスはわざとらしく苦笑してみせた。
「別に俺は反乱を起こそうとしている訳ではないのだよ、ラオ。皆には“ユリア様が仰るには、ジェド殿は国王軍から辞することを願っているようだ”と言っているだけだ。いや、ユリア様の名は流石に絶大な効果があるな、その名を出すと皆疑いを挟めなくなるらしい」
 くすりと笑うクリユスに、ラオは眉根を寄せる。
「おい、待て。ジェド殿が軍を辞することを願っている? …それは本当なのか、ユリアがそうお前に言ったのか?」
 ご多分に漏れず困惑した表情になるラオに、クリユスは肩を竦ませた。
「いいや、ユリア様からはお前も以前聞いた通り、ジェド殿の独裁を危惧しての理由しか告げられてはいないよ。だが我々がここへ来て直ぐの頃に、ジェド殿やユリア様の事は色々調べたからね。恐らくそれがユリア様の本来意図したことだろう」
「じゃあつまり、ジェド殿は軍を本当に辞めたがっているのか?」
「少なくともユリア様は、そう思っているということだ」
 そう言うと、クリユスは口の端を吊り上げる。
「……何だ、どういうことだ? 結局どっちなんだ、俺にも分かるように話せ」
「つまり」
 苛立ちを露わにするラオに、クリユスは子供に言い含めるかのようにゆっくりと告げる。
「ジェド殿自身は今のところ、軍から辞したいなどと思っている筈が無いだろうな。ユリア様は誤解なされているのだ。だがそれを俺が利用していると、そういうことだよ」
「な……」
 呆れているのか、怒りが過ぎて言葉にならぬのか、ラオはそのまま口を噤んだ。そして暫くの沈黙の後、溜息を吐くようにしてクリユスに問いかける。
「……お前の考えてる事は俺には分からん。いったい、お前は何をどうしたいんだ」
「単純なことだよ」
 クリユスは柔らかく笑う。
「俺の考えていることも、やりたいことも、いたって単純なことでしかない。――――差し当たっては、お前に余計な邪魔をされたくないと思っているかな」
「ふん、俺が大人しくそれに従うと思うのか?」
「まあ、思わないがね。けど大人しくせざるを得ないようにはなるだろうな」
「なんだと?」
 クリユスはちらりと窓の外へ目をやった。眼下で兵舎の出入り口を塞ぐように、兵士達が配備されているのが見て取れた。俄かに廊下の奥が騒がしくなる。
「思ったより早かったな。だが、いいタイミングだ」
 呟くと、訝しげに眉を顰めるラオの肩越しに、廊下の奥から颯爽と歩んでくる男に向けて声を掛けた。
「これは、お久しぶりですメルヴィン殿。まさか貴方がいらっしゃるとは、国境警備はお暇なようですね」
 ラオが振り返る。メルヴィンは顔を引き攣らせ、だが愉快そうに笑んでいる。
「そのような口を叩けるのも今のうちだぞ、クリユス。貴様は今日で終わるのだ、この俺が、お前に引導を渡しに来たのだからな」
 言いながら、メルヴィンは手にしている書状を二人の前に突き出した。
 興奮から頬は赤く上気し、鼻が得意げに脹らんでいる。この顔を見るのも久しぶりだなと、クリユスは場違いな暢気さでそう思った。
「これが何か分かるか、クリユス。これは告発状だ。貴様がティヴァナの密偵であることをここに告発し、そして貴様を捕える許可を、王に頂いたものだ……!」
 自らが舞台の主役であることを誇示するかのように、メルヴィンは声を響かせた。













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