128: 終焉の時1





「グイザード軍陣営後方部に新たなフィードニア軍が現われただと……?」
 トルバの宰相であるハイラムは、執務室でその報告を聞き激高した。
「あともうひと押しでフィードニア本軍を叩き潰せるところまで追い込んだようですが、別働隊の到着によりフィードニアがにわかに活気を取り戻してしまい、現在グイザード軍はその別働隊と本軍とに挟み込まれた形での攻防を余儀なくされているようですね」
 まるで他人事のように語る片腕の男に、ハイラムは更に怒気を強めた。
「ロドリグ、そもそも貴様が、ティヴァナへの使者として発ったフィルラーンの暗殺に失敗したせいで、大国二つの同盟が成るというやっかいな事態に陥ったのではないか……!」
 そのうえこの男は片腕を失くすという体たらくを晒しながら、のこのこと戻ってきたのだ。その時フィルラーン暗殺の邪魔をしたのが、フィードニア国王軍総指揮官だったという。
 フィードニア国王軍総指揮官ジェド。
 たった二個中隊の別働隊でカベル国とスリアナ国を傘下に治め、今このトルバの地に五万の援軍と共に現われたのも、その男である。
 以前死の神の仕業だと噂された、我がトルバ国王軍総指揮官であったアイヴァンの首を、不敵にも国王軍兵舎内に侵入し取っていった謎の輩も、そのフィードニア軍総指揮官ではないかとベクトが口にしたことがあった。
 あの一件以来、神の怒りを恐れた国々が同盟の離反をちらつかせ始め、連合は揺らぎ始めた。国内においても兵士達の士気は明らかに低下している。
 かくいうこのハイラム自身も、この強固な警備に囲まれた王城内にいるにも関わらず、アイヴァンのようにいつ寝首をかかれるか分からぬ恐怖から、眠れぬ日々を送っていた。
 フィードニア国王軍総指揮官、ジェド……!
 ハイラムは握りしめた拳を、机に叩きつけた。
「ロドリグ、あの男を…フィードニアの総指揮官を、殺せ!」
 わざわざ幾重にも罠を張り巡らせて殺した、あのライナスという名の副総指揮官などよりも、あの男を真っ先に片付けるべきだった。
 幾年もかけ手を回した各国の連合や、培った軍事力が、あんな男一人の為に今あっさりと覆されようとしている。あの忌まわしき日に取られたのはアイヴァンの首だけではない、連合各国の心臓と、我が野望。それらもことごとく刈り取られたのだ。
 トルバを守るために、グイザードが自軍を犠牲にしてまで戦う筈がない。奴らがこの地から撤退するのも時間の問題だと言えよう。
 無論トルバ一国だけになろうと、軍の強さのみを言うのであれば、大国と引けを取るものではない。しかしアイヴァンの代わりとなった総指揮官が育ち切れていないのも事実。得体が知れぬあの男の底力の前には、比べるべくもない小さな男だ。このまま正攻法で戦い続けていては、我が国の終焉は火を見るよりも明らかである。
「いいか、どんな手を使ってでも、あの男を殺すのだ……!」
 あの男さえいなければ、フィードニアなどという成り上がり国、どうにでもなるのだ。いいや、仮にトルバ国の崩壊を止められなかったとしても、あの男の首だけは刈り取らねばならぬ。それを持ってして、初めて我が溜飲も下がり次なる野望も芽生えるというものだ。
「もちろん」
 ロドリグは口を開くと、目を細めた。
「どんな手を使ってでも、あの男を殺してみせますよ。この片腕の礼もしなくてはなりませんからね、ご命令を頂くまでもなく、どんな手を使ってでも殺すつもりです」
 はは、とロドリグは笑う。
 気味の悪い男だ。ハイラムは内心で薄ら寒さを感じた。
 どんな非道なことであろうと、笑いながらやってのける男だ。だがしかし、その非道さが今まで色々と役に立ってきたことも、否定できぬ事実である。
 虫唾の走る男ではあるが、使えるうちは飼いならしておくのが良いだろう。
「けれどその前に、一先ず皇子達を連れ避難せよとベクト様から命を受けております、ハイラム様」
「うむ……そうか」
 あの老爺も既に我が軍の勝機は薄いと見て取ったか。ならば一旦身を隠し、機会を待った方が良かろう。
「わしも行こう、皇子達がご無事ならば、今は敗れたとしてもいずれトルバ国再建の道筋をつけられよう」
 そしていつの日か必ず、再び表舞台に返り咲いて見せるのだ。
 トルバの兵士達は今なお戦いの中にいたが、勝機の薄れた軍にも国にも、既に興味は無かった。
 ハイラムは急いで荷支度を整えると、彼が長年使用し豪奢にしつらえたその部屋を、躊躇することなく後にした。


 五万の援軍を得てやってきたフィードニアの別働隊と、ハロルド率いるフィードニア本軍とに挟まれた形となったグイザード軍は、数日粘ったもののあっさりと白旗を上げ、撤退していった。
 二度目の夜襲を受けた時には、溶け崩れ火が消える寸前の蝋燭のようであったフィードニア軍は、今では燃えさかる松明の炎のように勢いづいている。五万という援軍を得たことも確かにあるが、それよりもジェド総指揮官がここへ現れたことの方が大きいのだろう。筆舌しがたいほどの安堵感を、ハロルド自身も感じていた。
 だがそれと同時に、同じくらいに強く畏怖も感じた。援軍の旗はカベル国とスリアナ国のものである。つまりは僅か二個中隊で、しかもたったひと月の間に敵国であった二つの国を下し、傘下に治めたのだ。どうやればそのような事が可能になるのか、凡人の己には想像すらすることが出来ない。
 いったいこの男は何者なのだろうか、揶揄などではなく、もしや本当に闘神ケヴェルの化身なのではないだろうか。そう考えると、ハロルドは思わずぶるりと身震いをした。
「どうかされましたか」
 隣に座るクリユスが、気遣わしげな目をハロルドに向けた。怪我の具合でも悪いのかと目が問うている。
「なんでもない、武者震いだ」
 そう答え、慌てて皆に目を向けた。今は軍議を行っている最中だったのだ、気を散らしている場合ではなかった。
「グイザードは撤退し、カベル、スリアナは我らに付いた。もう挟み撃ちにされる心配はない、退路も気にしなくともよい。あとは真っ向からトルバを攻めるのみだ」
 ハロルドの言葉に、おお、と歓声が起こる。
 心身共に疲弊に追いやられた、苦しい戦いが長く続いたのだ。こういった分かりやすい構図を皆が求めていたのだろう。
「恐らく暗殺部隊の夜襲はもう無いだろう、仮にあったとしても、今の我らには撃退することなど容易なことだ。それが分からぬ相手ではない」
「そうですね。これからの戦いには、もはや小細工など意味無きことです、今後は総力と総力のぶつかり合いとなるでしょう」
 フリーデルの言葉にハロルドは軽く頷き、そしてジェドの方へ目をやった。
 相変わらず彼は黙ったまま、つまらなそうな顔でそこに座っているだけである。ここに至ってもどうやら発言する気は無さそうだ。
 仕方がなく、ハロルドは再び皆に目をやると、ジェドの代わりに口を開く。
「今宵はゆっくりと休め。明朝、トルバに総攻撃をしかけるぞ……!」
 その場に居たもの皆が、おおー、と気合の籠った声を上げた。だがやはりここは総指揮官であるジェドの言葉が欲しいところだ。
 ハロルドがジェドにもう一度視線を送ると、彼の隣に座るラオがその視線に気付き、ジェドを促した。
「ジェド殿、皆あなたの言葉を待ってますよ」
 ジェドは皆の視線を集める中、いかにも面倒そうな顔をし、そして言った。
「こんなくだらん戦い、さっさと終わらせるぞ」
 いかにも彼らしいその言葉に、今日一番の歓声が沸き起こったのは言うまでもない。













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