125: 夜襲1





 戦場の夜も更け、フィードニアの陣営は深く静まり返っていた。
 トルバとグイザードを相手にした連日の戦いで、兵士達の間には目に見えて疲労が溜まっている。見張りの者を残す他は、皆揃って深い眠りの中にいた。
 そんな中、何故かこの夜ハロルドは眠れずにいた。
 どうしたことだ? 与えられた一人用の天幕の中で、彼は身体を横たえながら首を捻る。
 戦場において、疲労を回復させる唯一の手段である睡眠の重要性は非常に高い。短時間で良質の睡眠を取ることが出来るかどうかは、言うまでもなく翌日の身体の働きに大いに影響を与えるものだ。故にハロルドはいつでもどんな所であろうとも、すぐさま寝ることのできる身体を作ってあった。
 だというのに、何故だか今日は妙に頭が冴えてしまい、一向に眠れないのである。
 こういう時は足掻いてもしょうがない、どうせ眠れぬのなら、ひとつ見張り番を変わってやるか。そう思い身体を起こしたその時、かすかな焦げ臭さを鼻腔奥に感じた。
 ハロルドは咄嗟に剣を手にし、音を立てないよう外の様子をそっと窺う。すると次の瞬間に、ひゅっと風を切る音がしたかと思うと、矢じりに火がついた弓矢がハロルドの天幕を突き破り、先程まで彼が横たわっていた夜具に深々と突き刺さった。
 その火は毛布を瞬く間に燃やし始める。ハロルドは己の服を脱ぐと、燃える火に向かいそれを何度も叩きつけ鎮火させた。
「奇襲、敵の奇襲だぁ……!」
 外から警笛と共に見張りの兵士の怒鳴り声が聞こえた。
 夜襲か。どうやら連合軍は我々を徹底的に疲弊させるつもりらしい。ハロルドは苦笑すると、上半身裸のまま天幕の外へ飛び出した。
 上を仰ぐと、ちょうど無数の火矢が空から降ってくる所だった。それらは天幕や荷物を次々に燃やし始める。そしてそれに続くように、敵兵が柵を越え陣営内に雪崩れ込んできた。
「第一中隊は消火に回れ、フリーデル、他に伏兵が潜んでいないか斥候を出させろ、残りの第五中隊は退路を確保、他は敵兵を向かい討て!」
 ハロルドは声を張り上げ皆に一通りの指示をすると、剣を抜き敵兵に向かって行った。
 敵兵は恐らくトルバの者達だろうと思われた。恐らく、というのは、彼らが身に着けている装具に、所属を示す紋章類が一切付けられておらず、またその簡易な装具の形に至ってもまるで統一されたものが無かった為、しっかりと判別出来なかったのである。
 それでもかろうじてトルバの者だと判断したのは、彼らの独特な身のこなし方が、噂に聞くトルバのある部隊の存在を思い出させたからだった。
(トルバの、暗殺部隊か―――)
 やっかいな奴らが出てきた。ハロルドは目の前の敵兵と剣を合わせながら、舌打ちをした。
 ほんの一瞬でも油断をすると、懐に潜めた短剣でのど元を正確に狙ってくる。そういう戦いをする者達だという情報を先に仕入れていなかったら、正直危なかった。今頃死体となって地面の上に転がっていたかもしれない。

 トルバ本軍との戦いで既に押され気味になっているというのに、今これ以上兵力を削られれば、トルバを落とすどころか、ジェド総指揮官率いる別働隊がこちらに合流するまでの間さえ、我らは持ち堪えることが出来ないだろう。
 それだけは避けたかった。
 ジェドは必ずカベルとスリアナを落とすだろう。そしてそれがあたかも当然のことであるかのような顔をして、この場へやってくるに違いないのだ。
 だというのに己は城一つを攻めあぐね、それどころか敗走するなどという体たらくを見せるなど、考えるだけで耐え難い屈辱だった。
 早々にこの暗殺部隊を撃退し、夜襲を収束せねばならない。その為には、やはり戦いの定石にならい奴らの頭を潰すのが一番だろう。
 そう判断し戦場に目を走らせたハロルドは、思わず溜息を吐きそうになった。
 だがそれには、一つ問題があるのだ。
 通常の軍であれば、身に着けている武具などでその者の大方の位は分かるものだが、この暗殺部隊の者達が身に着けている、てんでばらばらであり、しかし一様に質素な武具では、一見して誰がその“頭”であるのかが全く判別出来ないのである。
 こうなったら己の眼力に頼るしかない。確かに暗殺部隊の者達は、誰もかれも皆強者揃いであるようだが、彼らを束ねる部隊長であるならばその動きもまた格別であるに違いない。
 ハロルドは戦場となったこのフィードニアの陣営を駆け、方々に目を配りながら敵の“頭”を探して廻った。
 しかし、ことはそう簡単にはいかず、陣営内はあらかた見て回ったというのに、そうとはっきり分かる者を見つけ出す事が中々出来なかった。こうしている間にも、地面に転がる味方の兵は数を増していくのだ。攻撃を仕掛けてくる相手を切り伏せながら、次第に彼の心に焦りが混じっていった。

「――――探しているのは、このわしかな?」
 焦燥が頂点に達しようかという時、突然ハロルドの背後からしわがれた声が聞こえた。
 咄嗟に振り返ると、彼のすぐ後ろに一人の老人が立っていた。気配など微塵も感じなかったというのに、いつの間にこれ程までに接近されていたというのだ。
 ハロルドは慌てて一歩下がり間合いを取ったが、先程は声を掛けられるまで、この老人に後ろを取られていた事に気付かなかったのだ、殺すつもりならその時既に殺されていただろう。
「何者だ」
 そう口にはしたものの、この男が何者であるのか、既にハロルドは解っていた。
「このわしを探していたのであろう?」
 うっすらと笑みを見せる目の前の老人には、殺気というものが微塵も無い。一見すると、腰の曲がった人の良さそうなただの老爺にしか見えぬが、この男がトルバ国の暗殺部隊長であるに違いなかった。
「ふん、確かにそうだが、わざわざ己から出て来るとは随分と余裕だな。この俺も馬鹿にされたものだ」
「いやいや、馬鹿になどしてはおらぬ。なに、考える事はお互い同じというだけのことよ」
 老爺は細い目を更に細め、剣をハロルドへ向ける。
「成程、お互いさっさとケリを付けたいという訳だ。それなら話が早い」
 言い終わるが速いか、ハロルドは一歩踏み込むと老爺の胸部へ目掛け剣を突き出した。
 その剣を己の剣で受け取ると、老爺はそれを横へすらりと流すように弾き、そして次の瞬間には、反撃の剣をハロルドの喉下目掛け繰り出す。低い体勢から瞬時に襲い来るそれは、まるで獣の牙を連想させた。
 強い。
 今の一撃で、ハロルドはそう理解した。今まで剣を合わせた相手の中で、恐らく一番強い男だ。
 いったいこの自分に倒せるかどうか、正直な所自信があるとはとても言えなかったが、それでも倒さねばならぬ。それがこのフィードニア国王軍を率いる彼の責務であるのだ。
 間合いを取り、ハロルドは相手の動きをじっくりと観察した。
 こうして改めて見てみても、やはり老爺の立ち姿には闘志の欠片も見出せない。実に静かで穏やかな佇まいで、そこに居る。
 背筋にぞくぞくと震えが走った。恐怖ゆえでは無い、それは寧ろ歓喜に近い震えだった。
 この戦いは決して負ける事の出来ぬ戦いであり、今はそれどころでは無いことは分かっていたが、それでも己を凌駕する相手と対峙することに喜びを覚えてしまう。困ったことに彼は根っからの武人なのだった。

 炎に照らされ、ハロルドの赤い髪が更に赤く染められる。
 近くで天幕を燃やす火が爆ぜた。それを合図に、彼は再び一歩踏み出した。













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