119: 死の神2





 カベル国は比較的小さな国ではあるが、歴史は深い国である。
 ティヴァナも古くから続く大国ではあるが、古さのみでいえば、カベルには負けるであろう。建物に刻まれた花を模した紋様は独特の形をしており、古来からのものであることが伺えた。
 そしてもう一つ独特なものは、街の至る所に礼拝堂が建てられていることである。町民達が神に祈る為に造られた礼拝堂は、どこの国でも町ごとに一つくらいは建てられているものだが、この国のようにあちらこちらに見かけるというのは珍しかった。
 道を行きかう人々は、皆揃ってフィルラーンのラティを模したような大きな布を頭から被っており、一見するだけでは老若しかり、男女しかりの区別を付けることは難しかった。
 どうやらカベルは随分と信仰心が強い国であるらしい。こういう国であるならば『神の怒り』に対し真っ先に反応し、連合から脱退までしようとしているというのも容易に頷けた。

 街を通り抜け王城へ辿り着くと、馬を降りた三人の周りを複数名のカベル兵士達が取り囲んだ。そしてそのまま小突かれるようにして先へ進むよう促される。
 これでは王に謁見を求めに行くというより、まるで護送される囚人である。ラオは苦笑しながら先を進んだが、しかしその例えは間違いだったとすぐに思い直す事になった。
 囚人などと生易しい者では無い、我々は縄で括られ刑場へと連れて行かれようとしている、死刑囚だったという訳だ。
 彼らが連れて行かれた城の中庭には、剣を手にしたカベル国王軍の兵士達が数十名程、ずらりと頭を並べていた。階上からは無数の弓矢がラオ達に向かって狙いを定めている。こちらの出方次第では、いつでも殺せるということだ。
 隣でアレクが息を呑むのが分かったが、ラオはこの状況に左程驚きはしなかった。寧ろ想像通りの展開であるといえる。
 とはいえ、流石にこの数の兵士達を相手にするのは勘弁してもらいたかったが。
「おい」
 ふと、ジェドが青褪めるアレクに声を掛けた。何だろうかと視線をやると、彼は小声で二言三言、アレクの耳元で何かを呟いている。
 この男がまさか励ましの言葉でも無いだろう、ならば何か作戦でも授けたか。気になり自分も声を掛けようとした時、頭上から皺枯れた声が降ってきた。
「貴様がフィードニア国王軍総指揮官か。その名は噂に聞くが、勇猛さも過ぎれば只の愚か者だな。まさか本当にここまでのこのこと現れるとは」
 見上げると、二階のバルコニーに一人の老人が立っていた。恐らく彼がカベルの王なのだろう、明らかに兵士とも政務官とも違う、上に立つ者独特の威厳を放っている。
「こちらの言う通りに丸腰にたった数名のみで敵の城にまでやってきた正直者を、よもや殺すまいとでも思うたか。甘いのう、ここに助けを求めに来たか、それとも同盟を求めに来たかは知らぬが、そのように愚かな男を国王軍の頭に据えておる国などと、関わりを持つだけ無駄なこと。我が国にとって利など有りはせぬ」
 カベルの王はそう冷たく言い放つ。腹は立ちはしなかった。自分がカベルの王であっても、やはり同じように考えたに違いない。どう考えても、罠と知りつつやってきた己達は愚か者だ。
 ラオは隣に立つジェドに目をやった。彼はただ黙って王を見上げている。
 いったい、この状況をこの男はどうするつもりなのだろうか。
 何度考えた所で、ラオにその答えが導き出せる訳ではない。彼は考える事を止め、しかしいつでも戦えるよう、意識は周りの兵士達へ向けておく。
「どうした、何を黙っておる。この無数の矢に今更怖じ気づきでもしたか。しかし命乞いをすれば助けてやらぬでもないぞ、どうやら“フィードニアの英雄”という高名は名ばかりだったようだが、それでもその名自体に価値はある」
 ふん、とジェドが笑った。
「それは光栄なことだな。だが一つ、貴殿は勘違いをしておられる。俺はここに取引をしに来た訳ではない、同盟を求めに来た訳でも無い。勧告に来たのだ」
「勧告」
 カベルの王はやっと言葉を発したフィードニアの英雄を、嘲るように見下ろした。
「勧告ときたか。これは面白い、命がけでこの城に乗り込み、一体わしに何を言おうというのだ」
 愉悦混じりのカベル王に対し、ジェドは何の感情も伺えない表情と声で、こう告げた。
「――――今すぐフィードニアに降伏しろ。さもなければ、この国は潰す」

 アレクが半ば白目を剥き、辺りは場違いに思える程に静まり返った。
 それもそうだろう、今のは数十名の兵士達に囲まれた、尚且つその手には小剣一つですら持たない丸腰の男が発した言葉である。全く立場が逆の台詞に、ラオでさえ思わず我が耳を疑ったのだ、カベルの兵がとっさにその言葉の意味を理解出来ずにいたとしても、なんら仕方の無いことである。
「今、何と言ったのだ」
 暫くの沈黙の後に、先程までの愉悦の表情を一切捨て去ったカベル王が口を開いた。
「いや、やはり言わなくともよい。もはやこれ以上お前のような愚かな男に付き合ってはおられぬ。殺せ」
 カベル王の手が上げられるより早く、ラオは地面を蹴った。
 先程まで彼が立っていた地面には、次の瞬間には無数の矢が突き刺さる。更に襲い掛かる弓矢を転がるようにして避け、一番近くに居た兵士にそのまま体当たりすると、ラオは剣を無理やり奪い取った。
 振り返ると、視線の先では同じく敵から剣を奪い取ったジェドが弓矢を叩き落としており、アレクがその陰に隠れながら何とか身を守っていた。
 ラオは苦笑すると、もう一つ剣を敵から奪い取り、アレクに投げてやった。慌ててその剣を掴んだアレクは、必死な形相で剣を振るう。およそ半泣きに近い体ではあったが、それでもその剣は確実にカベル兵士達を床に沈めていった。
 ラオは思わず称賛の口笛を吹きそうになったが思い留めた。やる気が無いだけで、もともと弱い男ではない。そして更にジェドに鍛えられているのだ、これ位は戦えて然るべきだろう。
 それにジェドの傍で戦っているのだから、心配する必要も無かった。矢の次に襲いかかってきたカベル兵士達は、倒しても倒しても切りが無い程数多(あまた)にいるが、ジェドの周囲にいる者はそれを凌駕する程の勢いで次々に倒されていっているのである。
 彼の戦いぶりにはいつも惚れ惚れとしてしまうが、今日は騎乗しておらず動きやすいのか、常にも増して速くキレがある。身体全体で躍動している感じだ。
 彼の剣には鬼気迫るものがありながらも、その動きは美しくさえあった。まるで、そう、闘神ケヴェルの剣舞を見ているかのようだった。こんな状況でありながら、思わず見とれそうになる己をラオは慌てて律する。
 今は己の目の前にいる敵に集中しなければ、自分の身が危うい。そういうぎりぎりの戦いだった。


 そして戦いは一刻(一時間)も経たぬうちに終結した。疲労困憊のラオとアレクに対し、戦闘前と左程変わらぬ涼しい顔で立っているジェドだったが、それでもこの男が半数以上の敵を倒していることはもはや言うまでもないだろう。全く、嫌になる。
「な……何なのだ、お前は……!」
 頭上から掠れた声が降ってきた。カベルの王が化け物でも見るかのような目で、ジェドを見下ろしている。
 その目に多少不快感を感じたが、それでも初めてこの男の戦いを目の当たりにすれば、驚愕するのも当然といえば当然か。これがフィードニア国王軍総指揮官の力なのだと、そう言ってやろうと思った時、アレクがすっと前に進み出た。
「こ、この方はメトプス神(死の神)だ……!」
 アレクはジェドを指し示しながら、あらん限りの声で叫んだ。
「な……」
 カベル王と同じく、横に立つラオも絶句した。突然何を言い出すのだ、こいつは。困惑するラオの横で、アレクは尚も声を張り上げる。
「いいか、よく聞けカベルの王よ! フィードニアは神々に守られた国なのだ、戦女神の話は貴公の耳にも届いているだろう、だがそれだけではない、我が国にはメトプス神さえもその力をお貸し下さっているのだ。それを証拠に、フィードニア国王軍副総指揮官であったライナス殿を汚くも罠に嵌めたトルバには、メトプス神の裁きが下っているではないか……!」
 とんだはったりである。
 だが先程ジェドの強さをまざまざと見せつけられた後なだけに、そのはったりも幾分効果があったようだ。階上に立つ王が狼狽する様が、ここからでもはっきりと見て取れた。
「な、何を。この男がメトプス神だとでもいうつもりか。神を騙るなどと、なんたる不遜、なんたる恥知らずであることか。神の裁きを受けるがよい、この痴れ者どもが!」
 王は一歩後ずさりながらも、怒りを露わにした。
 幾ら人外の強さを見せつけたところで、神を騙るなどという確かに不遜な行為がそう簡単に通用する筈がない。信仰心の強いこの国ならばそれも通るとジェドは考えたのかもしれないが、逆に信じさせる事が出来なかった場合は、その信仰心の強さだけ深い怒りを買うことになる。そうなれば、折角連合から外れようとしていたこの国が、再び敵に回ってしまうのだ。
 いったい、どうするのか――――。ラオは再びジェドへ目をやり、そしてはっとした。彼の口の端が吊り上っていたのだ。
「おい、肩を貸せ」
 ジェドはラオに声をかけると、そのまま跳躍しラオの肩を踏み台にして、ひらりと空中に身を翻した。そして上階のカベル王が立つバルコニーに降り立つ。
「ひ、ひぃ……!」
 カベル王は潰れたような声を漏らすと、恐怖に腰を抜かした。ジェドは胸元から、何か飾り紐のついた卵程の大きさの小物を取り出すと、それを王の目の前に無造作に落とした。
「こ…これは……トルバ国王軍の紋章……」
 カベル王は驚愕に目を見開く。
 どうやらそれは、マントの留め具のようだった。そしてそれは、遠めに見ても高価なものであることが窺えた。恐らく上級将校以上の者が、もっと言ってしまえば総指揮官クラスの者が身に付けるものなのではないか―――。
「まさか、これは。まさか……」
 ガタガタと身体を振るわせ、王は恐怖の目でジェドを見上げる。
 しかしその問いに、ジェドは答えなかった。黙したまま血に染まった剣を王の首に突きつけ、代わりにこの言葉を再び口にする。

「今すぐに降伏しろ、さもなければこの国を潰す」

 ぞっとした。ジェドをよく知るラオの目にさえ、その瞬間彼は死の神に見えた。












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