118: カベルへの行軍





「なんで俺までカべルなんかに行かなきゃいけないんだよ。俺が剣を鍛えたのはユーグを倒す為なんだぜ、ジェド殿だってそれを分かってるんだから、トルバ本国を攻める方に参加させてくれるべきじゃないのかよ」
 カベルへ進軍する道中、アレクはずっとこんな調子でぶつぶつと文句を呟いていた。決まってしまったものを、全くいつまでも往生際の悪い奴である。
「五月蠅いぞアレク、文句があるならジェド殿に言え。―――ジェド殿!」
 声を張り上げるラオの声に、行軍の先頭を行くジェドが振り返った。
「わっ、ちょっちょっと……!」
 アレクはさっと顔を青褪めさせ慌ててラオの言動を止めようとしたが、ラオはそれを無視しジェドの方へ馬を寄せる。
「ジェド殿、アレクが何か言いたいことがあるみたいですよ」
「なんだ」
 ジェドの視線を受けて、アレクは文字通り竦み上がった。
「い、いえ、何でもありませんっ」
 全身を硬直させるアレクの姿は、まさに猛禽類に出くわしてしまった小動物のようである。
 以前ジェドの言いつけを破り訓練をサボったアレクは、案の定それをジェドに見破られ、その後彼に随分酷い目に遭わされたらしかった。以来ジェドの前では小さく縮こまり、絶対服従の姿勢を取っているのである。
「ちょっと、酷いじゃないですか」
 青褪めた子ネズミが恨めし気にラオを睨みつけてきたが、これくらいは良い薬というものだ。「いいから黙って進め」と頭をはたいてやると、奴は思い切り舌を出してから列に戻った。子供のような奴である。

 現在カベルへ進軍しているのは、ジェドが指示した二個中隊のみである。一行はカベル国の国境を破り、真っ直ぐに王都を目指して進軍していた。
 ラオ率いる第三騎馬中隊は元々ジェドの直属部隊なので当然であるが、第四騎馬中隊長ヴェルナーはこの行軍に何故自分の隊が選ばれてしまったのか未だに解かりかねているようである。
 恐らくアレクを鍛える一貫として連れ出す為に、奴が所属している第四騎馬中隊が丸々巻き添えを喰ったというだけの話だとは思うが、それでも命令とあれば大人しく従う姿は、流石にあの我儘男とは違い一個中隊を従える軍人であると言えよう。
 そして領兵軍を含めたフィードニア本軍は、王都護衛の為残された隊を除いては全てトルバ本国に向かって進軍している。
 方や連合国から離反しつつあるカベルに対しての、たった二個中隊の進軍であり、方や連合中心国に対するフィードニア本軍の総攻撃である。トルバ左上に位置するグイザード国がどちらに軍を向けるのかは、火を見るより明らかだった。
 ここからはグイザードとトルバを相手にした総力戦になるだろう。今までの小競り合いと違い、大きな戦いが始まろうとしているのだ。
 現在その場に自分が居れずにいることは多少残念ではあったが、しかしこの別働隊としての行動もまた、ラオにとっては有意義なことだった。さて、ジェドはどうやってカベルを降伏させるつもりなのか――――。
そう思った時、隊を離れ偵察に出ていた兵士の一人が、駆け戻ってきた。
「報告します、カベル軍がこちらへ向かってきております。その数およそ五千」
 対するこちらの軍はおよそ二千余りである。倍以上の数ではあるが、まあそれ位ならなんとかなるだろう。
 峠を越えた先にカベルの軍が姿を現した時、ラオはすぐさま臨戦態勢に入ったが、ジェドは腰に佩いた剣を引き抜きもせず一人カベル軍に向かい進み出た。
「ジェド殿!」
 慌てて追いかけようとするラオを、ジェドは片手で制した。黙っていろ、とその眼が言っている。そしてジェドは再びカべル軍へ向き合うと、声を張り上げた。
「私はフィードニア国王軍総指揮官である。こちらに戦う意思は無い、カベル国王に目通りしたく、ここまでやってきたのだ。取り次ぎを願う」
「な……」
 驚いたのはカベル軍だけではない。ラオ含めたフィードニア兵士達もまたしかりである。
 まさか話し合いでこの場を収めようというのか。ジェドはカベルに同盟を持ち掛けに来たのだろうか。そうであるならば、この少人数での遠征にも確かに頷けるが、この男のやり方としては些か大人しすぎる判断に思えた。
 どういうつもりなのか問いかけたかったが、しかしカベル軍の兵士達にこちらの動揺を見せる訳にはいかなかった。右を見ると、ヴェルナーも同じく眉間に皺を寄せたまま、困惑をじっと腹に収めている。
 彼の目配せを受け、ラオは抜きかけた剣を再び鞘へ納めた。訳も解らぬまま、行き場を無くした戦闘意欲をただ持て余すしかなかった。

 数刻待たされた後、カベル国王軍総指揮官と名乗る男がジェドの元へやってきた。
「王は謁見をお許しになるそうだ。だが条件がある。一つは軍をここから一歩も動かさぬこと、王城へ入ることを許す者は総指揮官以下、上級将校数名の共のみである。一つは一切の武器を所持せぬこと。以上の条件を呑めぬのであれば、ここから先へ通す訳にはいかぬ」
 話があるのなら、丸腰で来いという訳か。カベルの出した条件に、ヴェルナーは気色ばんだ。
「そのような条件を呑むわけにはいかぬ。むざむざ殺されに行くようなものではないか」
「ならばこのまま引き返すがよかろう、それとも実力行使にでも出るか? たった二個中隊でどれ程のことが出来るのか、見ものというものだな」
「なんだと、この……!」
「止めろ、ヴェルナー」
 鼻で笑うカベル国王軍総指揮官にヴェルナーが歯を剥いたが、ジェドがそれを止める。
「構わん、その条件を呑む」
「えっ」一同がジェドを見つめた。
「いけません、明らかにこれは罠です。向こうに話し合うつもりなど無いに決まっています。ラオ殿、貴殿もそう思うであろう」
「あ、ああ。そうですね」
 ヴェルナーに水を向けられ頷いてはみたものの、ラオにはジェドを引き留めるつもりなど毛頭なかった。
 罠に違いは無いだろう。だが、ジェドもそんなことは分かっている筈だ。ならばどうするつもりなのか、危惧よりも興味の方が勝っていたのだ。
「ヴェルナー、お前はここに残り中隊の面倒を見ていろ。ラオと…あとはそうだな、アレク。二人は俺に付いてこい」
「ええっ!」
 自分には関係無いとすっかりくつろぐ体制に入っていたアレクが、素っ頓狂な声を上げた。
「なっなんで俺が? だって条件は上級将校ですよね、俺下級将校だし、それに」
 指名を逃れようと必死になるアレクをジェドはちらりと見下ろすと、ふんと鼻を鳴らした。
「ならば今日からお前は上級将校だ」
「そっそんなぁ」
 あっさりと告げられたジェドの言葉にラオとヴェルナーは揃って目を丸くする。それはつまり、国に戻った暁には一個中隊を任せてもらえるということだ。思わぬ出世であるが、本人は絶望という色を顔に貼り付けている。
 それもそうだろう。今の状況を思うと、無事国へ戻れる保証など皆無に等しく思えるのだから。
「そういう訳だ、城へ行くのは三名のみ、武器もここへ置いていく。これなら文句はあるまい」
「ふむ、まあ良かろう。では付いて来るが良い」
 カベル国王軍総指揮官はそう言うと、馬首をカベル王都へ向ける。
「ジェド殿、お止め下さい」
 尚もヴェルナーは引き留めたが、部下の進言を素直に聞く男ではない。「いくぞ」とラオとアレクに声をかけると、自分はさっさと馬を歩ませた。
 こうなっては仕方が無い。アレクは半泣きの面相で、しかし大人しく馬に跨るしかなかった。













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