115: 裏切り





 ――――私はティヴァナ国王軍弓騎馬隊大隊長、クリユス・エングストと申します――――

 いったい、彼が何を言っているのか、ユリアには理解することが出来なかった。
 ティヴァナ国王軍弓騎馬隊大隊長? クリユスがかつてその職位をになっていたこと位は知っている。だが今は、彼自身の失態によりその地位を追われ、フィードニアへやってきたのではないか。
 それが何故、今このように堂々とティヴァナの王城に現れ、現在の弓騎馬隊大隊長である筈の男に頭を下げられているのか。
 その答えになりそうなものが、ユリアの頭の中をちらちらと掠めたが、彼女の心がそれを考えることを拒否した。頭が、真っ白だ。
「リュシアン様、フィードニアのご使者殿に全てをお話し下さい。彼女は納得出来ぬことを曖昧にしたまま、引き下がるような方ではありません」
「ううむ……いや、しかし」
「これ以上隠しだてをした所で、彼女は勝手にあれこれと嗅ぎ回ることでしょう。そうなったほうがやっかいです」
 リュシアン王子はクリユスのその言葉に眉根を寄せたが、やがて諦めたように溜息をつく。
「分かった、お前がそう言うのならば、そうなのだろう。――――フィードニアの御使者殿」
「は、はい」
 名を呼ばれ、反射的に王子の方へ顔を向ける。
「貴女が会おうとしているティヴァナの王には、残念ながら会わせることが出来ません。しかし既に、貴女はティヴァナの王に会ってもいるのです」
「え……?」
 何かの謎かけのような言葉に、ユリアは首を傾げる。
「リュシアン様、お止め下さい……!」
 左脇に立つ政務官が、尚も止めようと声を上げたが、王子は静かに首を横に振り、もう口論する意思の無い事を皆に告げた。
「つまり」言いながら王子は玉座の上に腰掛ける。そしてユリアを見下ろした。
「世に稀代の名君と名を馳せているティヴァナの王は、一年半程前に亡くなりました。現在のこの国の王はこの私、リュシアンなのです」
「あなたが、ティヴァナの王」
 真っ白な頭の中で、それでもユリアはリュシアンに目を向けた。どっしりと構えた玉座が、どこか居心地悪そうに座っていると、ユリアは思った。
「大国ティヴァナの王には似つかわしく無いと、いかにも頼りなさげに見えると、そうお思いですか」
「い、いえ、そのような」
 見透かされたようで、慌てて首を振ったが、リュシアン王子―――いや、王は自嘲の笑みを浮かべた。
「よいのです、その通りなのですから。私はそもそも王どころか、第一王子ですらありませんでした。王位継承権を持たぬ、第二王子だったのです。そう、一年半前までは」
 ティヴァナの若き王は、静かに語り始めた。

 国交にあまり縁も関心も無かったユリアにとっては、ティヴァナやティヴァナの王に関しては、今回の同盟を求めるにあたり多少聞きかじった程度であったが、リュシアン王が語るには、先のティヴァナ王の勇猛さや名君ぶりは、他国にも広く響き渡る程だったようだ。
 先王は自ら戦場へ赴き、軍を数多の勝利へ導いた。また貿易の活性化や、治水工事を広く行い水害の抑制に取り組むなど、様々に押し進めた治政は民衆にも強く支持されていたそうだ。
 そして彼の後継者である第一王子もまた、先王の才を強く受け継ぎ、カリスマ性のある男であった。
 この二代続く名君が治政を行った後は、ティヴァナは千年は安泰であろうと、民衆が讃える程だったという。
 ところが、である。一年半前に、その民衆期待の太子であった第一王子は、流行病であっさりと命を落としてしまったのだ。
 臣下達は嘆き悲しんだが、不幸はそれだけでは終わらなかった。続いて第三子の王女が同じく病に倒れ、時をほぼ同じくして更に国王までもが床に伏してしまった。医者の必死の治療もむなしく、二人は数日間の高熱の後、息を引き取った。
 今思い返しても悪夢のようだったと、リシュアン王は息を深く吐きながら語る。
 それまで継承権を持たぬ第二王子でしかなかったリュシアンは、何の覚悟も準備も持てぬまま、突然王位を継がねばならなくなったのだ。しかも間の悪いことに、その頃ティヴァナを囲む各国が、連合を結ぶ動きを見せているという情報が入ってもいた。
 偉大な王二人の死に揺らぐ王家の事実が他国に知られれば、これを好機と攻め入ってくるに違いない。それだけは何としても防がなくてはならなかったし、相次ぐ王族の死に、民衆の間で『ティヴァナ王家は呪われている』などと下らぬ噂が飛び交ってしまうのも避けたかった。 
「故に我々は、彼らの死を隠すことにしたのです」
 当時の苦悩を思い出したのか、リュシアン王のみならず、その場に居る臣下の皆が悲痛な顔になる。
「まず最初に、亡くなった王子は第一王子ではなく、第二王子だったことにしました。まあ、私ですね」
 世間的に己が死んだことにしたと、さらりと彼は言う。それ程に事態は逼迫ひっぱくしていたのだろう。
 これを幸いと言うのか、立て続けに起こった不幸に混乱していた国は、その時点でまだ第一王子の死さえも正式に公表してはいなかった。ただ王族の死を知らせる黒い国旗が、王城に掲げられていただけだったのだ。
「もう一つ幸いなことに、私と第一王子は歳も近く、それなりに似た顔をしておりました。側近ならばいざ知らず、民や下級兵士達がそれ程我らの顔を見知っている訳でもない。入れ替わってもどうとでも誤魔化せたのです」
 そうして第二王子であった彼は『第一王子リュシアン』と名を変え、ここにいる側近の者以外に誰にも知られることなく、ひっそりと王に即位した。どうやら彼の本当の名はリュシアンでは無いらしいが、既に死んだ者の名だからと、あえて口にすることはなかった。
「次に王女の死については、まあ、貴女もご存じのとおりですが、クリユスに汚名を被ってもらうことになりました」
 クリユスの名が出たことに、ユリアはどきりとした。真実は知りたいが、それが怖くもある。複雑な心境だった。
「王女とクリユスが、その…フィルラーン相手に言いにくいのですが、まあ男女の関係になってしまったということにしたのです。それを王がいたくお怒りになり、王女は王城奥から出ることを禁じられ、クリユスは処刑になる所を逃亡。そして王は第二王子の死から続く心労が祟り、床に伏しているという話を広めました」
「つまり、クリユスが国を逃亡してきたという話は、偽りだったのですね」
 衝撃は確かに感じたが、けれどそれよりも先に、ユリアの中で怒りが湧いた。
「けれど何故、彼がそのような役目を負わねばならなかったのですか」
 例え真実を隠す為とはいえ、ユリアにとっては大切な兄のような存在のクリユスである。捨て駒のような扱いを受けたのかと思うと、我慢がならなかった。
「それは私自身が提案したことなのですよ、ユリア様」
 ユリアの中の怒りを見て取ったのか、クリユスが口を挟んだ。
「王家の方々の死の問題だけでは無く、我らには各国の連合の動きを早急に探る必要があったのです。そして場合によっては、ティヴァナも同盟国を持たねばならない。その相手には初めからフィードニアを視野に入れておりましたが、何せここ十数年で大きくなっただけの国、即断は出来ませんでした。故にフィードニアへ潜り込み、状況を探ることにしたのです」
 国力や軍力、その他諸々を探るのに一番手っ取り早いのは、国王軍へ潜り込むことである。フィードニア国王軍へ潜入するには、フィードニアのフィルラーンという最大のコネを持つクリユスとラオが相応しかった。しかしティヴァナ国王軍で高位に着く彼らが各国を放浪し、更にはフィードニアに潜り込むには、顔や名が知られ過ぎている。故に逃亡者となることが必要だったのだ。
 こうして“王女に手を出し処刑される寸前だったクリユスを、ラオが救いだし共に逃げ出した”という作り話が出来上がった。彼らは逃亡者として傭兵家業を行いながら、各国を転々とし、連合の動きについて探りを入れ、そして最終的にフィードニアへ辿り着くと、ユリアの助力を得て、思惑通りにフィードニア国王軍へまんまと潜り込んでみせたのだ。
「……では、クリユスとラオはティヴァナの密偵だったという事なのだな」
 脱力感が、ユリアを襲った。
 彼らは敵では無い。だが密偵であり、偽りの姿であったのも事実。これらにどう折り合いをつけ、心の整理をしたら良いのかが分からなかった。
「しかし、クリユス。初めからフィードニアとの同盟を考えていたと言うが、一年前にフィードニアがティヴァナとの同盟を結ぼうと動いたとき、それを阻止しようと画策したのは、他でも無いお前ではないか」
 ジェドを国王軍から追放する為、そのユリアの願いを叶えるために、当時の不安定だった国王軍を強化しようとクリユスが画策してくれたことだった。彼がユリアの為にしてくれたあらゆる事を、何一つ疑いたくはなかった。それはティヴァナとは関係なく動いてくれたのだと、信じていたかった。
 縋るような目を向けるユリアに、だがクリユスは眉ひとつ動かさない。
「簡単な事ですよ、ユリア様。あの当時のフィードニアの軍力では、同盟を結ぶに値しないと判断した故、阻止したのです」
「何……」
「ユリア様、我らは千年続くと言われる程に猛威を奮っていたティヴァナの基盤が、たったお二方の死でこれ程に脆くも傾きかけてゆく様を、まざまざと体験しているのです。ジェド殿たったお一人の力で成り立っていたフィードニアの軍事力に頼ることなど出来ませんでした。故にフィードニアの軍事力を強化することに着手したのです」
 それに、とリュシアン王がクリユスの後を継ぐ。
「それに我が大国ティヴァナが同盟を結ぶには、我が軍と同等もしくは追随する程の軍事力を持つ国でなくてはならなかった。ほんの少しでも、ティヴァナが弱っているなどという事実を他国に知られる訳にはいかなかったのです」
「故に私はティヴァナに同盟の意思が無いことを他国に知らしめるよう、ティヴァナの矢で同盟の使者を襲わせました。そして使者の持つ書状の代わりに、今はまだ時期では無いことを知らせる書状をティヴァナへ送ったのです」
「なんだって」
 ユリアは思わず目を見開いた。使者が途中で何者かの矢に倒れた事は聞いていたが、それがクリユスのやったことだったという話は初耳だった。自分が知らされていない画策を、クリユスが裏で行っていたという事実に、ユリアは急に不安が頭をもたげる。
「では……ジェドを国王軍から追放するという、私の望みに今まで協力してくれていたのは、全て嘘だったのか」
「嘘ではありませんよ。貴女の望みは軍を強化するという点で、我々と利が一致しておりましたからね。それに最終的に彼を追放することは、我らにも都合がよいのです。連合国との戦いに勝利した暁には、邪魔になる存在ですから」
「な……」
 自分でも、頭から血の気が引いていくのがよく分かった。
 クリユスの言葉の意味が、今のユリアには理解出来る。いくら同盟を視野に入れている国だからといって、状況が変われば脅威となりかねない他国の軍事力を強化することにあっさりと着手した理由は、ジェドの存在があったからなのだ。
 そう、例えフィードニアが『ティヴァナと同等もしくは追随する程の軍事力』を手にしたとしても、その力が邪魔になった時には、ジェド一人さえ排除してしまえばとたんに弱体化させることが出来る。ティヴァナにとってフィードニアは、これ以上無い位に都合の良い国だったという訳だ。
「私を騙していたのか、クリユス」
 睨みつけるユリアに、クリユスは冷笑を見せた。
「なんて顔をなさるのです、ユリア様。ジェド殿の追放は元々貴女が望んだことではありませんか。私は初めにご忠告申しあげましたよね、嫌なら止めてもいいのだと。けれど一旦始めたからには、万が一貴女の気が変ったとしても、私はもう止まりませんと。今更止めたいと言われましても、もう遅いのです」
「クリユス……」
 ユリアは思わず一歩後ずさる。以前、彼の画策により戦女神に仕立て上げられた時も、クリユスに対して恐れを感じたが、今はそれ以上に底知れぬ恐怖を感じた。
 どんなことがあろうと、もう二度と彼を疑わない。そう心に決めていたというのに、結局それが仇になったというのか――――。
「私はもうお前の言いなりにはならない。最早このままこの国に留まるつもりもない。フィードニアへ帰らせてもらうぞ」
「帰る? この同盟には両国民の期待がかかっているというのに、成さぬままお帰りになるおつもりですか?」
「私も言った筈だ、フィードニアはティヴァナの属国になるつもりはない」
「これは、困ったお人だ」
 クリユスが片手を上げると、数人の兵士が現れユリアを囲んだ。
「帰らせませんよ。貴女にはここで、両国の同盟と連合国との戦いを見届けて頂きます」
「クリユス……!」
ユリアは唇を強く噛みしめ、クリユスを睨みつけた。そうでもしていないと、涙が溢れてきてしまいそうだった。













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