114: ティヴァナ国王軍弓騎馬隊大隊長





救護室でバルドゥルの傷を手当しようとした医師は、彼の肩に巻かれたものがラティであることに気付き、唖然と口を開けるばかりであった。
 中々治療を始めようとしない医師に、ユリアは代わりに自分が手当てをしようかと提案したが、バルドゥルに「結構です」と真顔で断られた。これでも随分練習を積んだというのに、無礼な男である。
 

 それから数日の後、ユリアは再び謁見の間へ呼び出された。
 玉座の脇にはリュシアン王子が立っている。だがその玉座の上に、王の姿は無かった。
 前回と同じく中央に敷かれた赤い絨毯の両脇には、政務官や国王軍の要人達が並んでいる。しかしその人数は、前の時よりも幾分少ないように思えた。その並びに、前回王と偽り玉座に座していた国王軍総指揮官のテガンや、弓騎馬隊大隊長マルセルの姿が見える。
 マルセルの話によると、先日ユリアの命を狙ったトルバの刺客は、無事に捕えたようだった。
 ティヴァナへ来て最初にこの謁見の間に通されて以来、今まで散々ほったらかしにされていたが、手を焼いていた内通者の問題が片付き、やっと同盟の話を進める気になったということなのか。
 それならばいいが、こちらに無理難題を色々と突きつけて来たことが全て、内通者を炙り出す為にユリアを囮に使ったことと結ぶ付くとも思えなかった。
「まずは貴女を危険に晒したことを、お詫び致します」
 王子はユリアの前に、頭を下げた。
「いいえ、同盟国に密偵が紛れ込むという事態は、我が国にとっても重大事です。今回捕えることが出来たことは喜ばしいこと、お役に立てて光栄に思います。しかし、私を庇い傷を負った兵士がいるという事はお忘れなきよう」
 同盟の為ならば囮に使われるのも構わないが、再びティヴァナの術中に嵌るのは余り歓迎はできない。事実バルドゥルが怪我を負ったことに関しては、憤りを感じているのだ。故に軽い牽制も口にしておく。
「分かっております。傷を負われたフィードニアの兵士には、出来得る限り手厚く治療をさせて頂きます。それに、お詫びとお礼も兼ねまして、貴女の願いを前向きに検討したいと思っているのですよ」
「―――――え」
 驚きの余り、つい声が口から出てしまった。
 それは、つまり。
「我がフィードニアと同盟を結んで頂けると、そういう事なのでしょうか」
「まあ、そういうことですね」
 リュシアン王子はにこりと笑みを向けてくる。
 前回とは打って変わり、随分と好意的である。いや、好意的過ぎる程だ。
「条件は一体何なのでしょうか。内通者を炙り出す囮となったその功だけで、よもや同盟を結んで頂けるとは思っておりませぬが」
「これは、また聡い方だ」
 王子は苦笑しながら、肩を竦める。
「勿論何も条件が無いとは申しません。そうですね、貴女には暫らくの間帰国を諦めて頂く事にはなります」
「それは、勿論構いません」
 人質となることは、ティヴァナへ行くことを決意した時から、とっくに覚悟している。そんな事が条件であるならば、とっくに同盟は締結されているというものだ。
「例え同盟を結んで頂いたとしても、クリユスとラオを引き渡すという条件を呑む事は出来ませんが、宜しいのですか」
 後になってから“そういう約束だった”と難癖を付けられぬよう、先に口にしておいたのだが、王子は「ああ」と今気付いたかのように両の眉を上げた。
「それなのですが、以前と状況が変わりました故、撤回する事とします。まあ、フィルラーンの“清め”により罪が許されたということなので、無罪放免ということに致しましょう」
「な……」
 ユリアは思わず唖然たる面持ちになった。何なのだ、一体この変わりようは?
「失礼ながら、状況が変わったとはどういう事なのでしょうか。あれ程に二人の引き渡しを強く要求しておりましたのに、それが突然無罪放免とは」
「おや、嬉しくはありませんか? 貴女の身を危険に晒したことに対して、精一杯こちらの誠意をお見せしようと譲歩したのですが」
「いえ、それは勿論ありがたいことなのですが」
「なら良いではありませんか」
 にこりと再び王子は微笑む。全く訳が分からない。そのように胡散臭い笑みで、こちらを煙に巻こうとでもするつもりなのか。
 ――――そうはいくものか。
「同盟を前向きにお考え下さるとのこと、大変嬉しく思います。けれどそのような話を王不在のまま話し合う訳にも参りません。どうぞ王へのお取り次ぎを願います」
 ユリアのその言葉に、王子はすっと笑みを消した。
「フィルラーンのご使者殿、勘違いなされては困ります。この譲歩はあくまでもこちらの謝意を表したものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。だというのに、そこへ付け込むかのように更に王への目通りを願うとは、些か増長なされているのではありませんか」
「いいえ、勘違いなされているのは、そちらの方です」
 ユリアは強い眼差しで王子を見返す。
「我が国は貴国の属国になることを望んでいるのではありません、貴国との対等な同盟を求めているのです。我が国と同盟を結ぶというのなら、それ相応の礼節を持って対応して頂かねばなりません。そうでなければ、私はこのまま帰らせて頂きます。同盟の話は無かったこととさせて頂いて結構」
「な―――――」
 凛と立つ少女の言葉に、その場に居る者達が驚嘆の声を上げた。
「どういう事だ」
「今更そのようなことを」
「何と無礼な」
 両側に並ぶ者達の動揺する姿を見て、ユリアは確信した。
 同盟を求め押し寄せる民衆の声を無視出来なくなったのか、はたまた別の理由があるのかは分からないが、恐らく今ティヴァナは同盟を結ばざるを得ない状況にいるに違いない。
 そう思い、ユリアは賭けに出たのだった。
 無論フィードニアにとってもティヴァナとの同盟はもはや不可欠なものではあるが、このままティヴァナのペースに乗せられてばかりでいては、対等な同盟を望めるとは思えない。故にここで引く訳にはいかないのだ。
「さあ、どうなさいますか。王へお取り次ぎをして頂けるのですか、それともこのまま私を追い返しますか」
 挑むような目を向けるユリアを、リュシアン王子は思案顔で見詰める。
「ほう……では同盟が成らずとも良いと、そういう事ですか」
「お聞き頂けないのであれば、致し方ありません」
 ユリアの揺さ振りに対し冷静な反応を見せるリュシアン王子に、内心では息が止まりそうな程に緊張していたが、顔には出さぬよう必死で平静を装った。
 ティヴァナはどう答えるのか。次の言葉を待つこの束の間の沈黙が、果てしなく長く感じられた。

「恐れながら、リュシアン様。御使者様には真実を打ち上げるべきではないでしょうか」
 その沈黙を破ったのは、右脇に並ぶ軍人達の一人である、マルセルだった。
「御使者様がこのままお帰りになられたら、同じような好機は恐らく二度と現れぬと存じます」
「黙らぬか、マルセル!」
 左脇に並ぶ政務官の一人が、諌めるように声を上げた。それに負けじと、マルセルも声を張り上げる。
「黙りませぬ。折角体裁を整えここまでの場を作りましたものを、今ここで同盟を成さねば全てが徒労となるばかりではありませぬか」
「そのような事を今ここでべらべらと喋るなと言っておるのだ!」
「もうよい」
 二人の諍いを止めたのは、王子の静かな声である。
「確かにマルセルの言う通りだ。このまま隠し通せぬものかと思っていたが、もはやここまでのようだ。……しかし、この事が万が一にも他国に漏れる訳にはいかぬ。そうなれば、それこそ今までの画策は全て水の泡となるのだ」
 王子はユリアの顔を見詰めながら、苦悩の表情を浮かべ逡巡している。先程の彼らのやりとりを見る限り、ティヴァナがその実同盟を結びたかっている事も、何らかの事実をひた隠しにしていることも、既に明白ではあるのだが、それでも尚王子は言うべきか、言わざるべきか、直ぐには結論を出せずにいた。
 恐らくその「真実」というものは、今までの彼らの不可解な行動と関係しているのだろう。
「いけませぬ。喋ってはなりませぬリュシアン様」
「しかし、それでは同盟が成りませぬ。それでは我がティヴァナは……」
 再び言い合いが始まる。これでは埒が明かぬではないか。
「あの、ここでこうしていたずらに討論を続けていても仕方がありません。ここはやはり、王に直接謁見させて頂くのが一番ではないかと……」
 ユリアがそう口を挟もうとしたその時、謁見の間の入口から唐突に、よく聞き慣れた涼やかな声が響いた。
「―――――リシュアン様。構いません、彼女に全てをお話し下さい」
 ユリアは驚き後ろを振り返る。
 聞き間違い? いいや、私がこの声を間違える筈が無い。
 そこに立っていたのは、今ここに姿を現す筈の無い人物。逃亡者である筈のクリユスだったのだ。

「ク、クリユス……! どうしてここに……!」
 ユリアは驚愕と共に、慌てて彼の元へ駆け寄った。
 王子は先程『無罪放免』などと口にしてはいたが、それは同盟を結ぶ為の条件から、単にクリユスの引き渡しを外しただけに過ぎない。
 自らこのような所にのこのこと現れれば、当然捕らえられても文句は言えぬであろう。だというのに何故、彼がここに現れたのか。
 まさか、同盟の条件にクリユスの引き渡しがあることを聞きつけ、わざと捕まりに来たのだろうか。彼ならばやりかねないように思えて、ユリアの額にさっと冷や汗が滲んだ。
「駄目だクリユス、早くここから逃げるんだ」
 入口の外へ連れ出そうと、クリユスの身体をぎゅうぎゅうと押すユリアだったが、クリユスは幾分困った顔で、彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
「大丈夫です。逃げる必要はありませんよ、ユリア様」
「何を言ってるんだ、クリユス! 自分の立場を忘れたのか」
「勿論、忘れてなどおりません」
「なら……!」
 そう問答している間に、マルセルがつかつかと彼女達の元へ歩いて来るのが見えた。
「駄目だマルセル、クリユスは渡さない」
 ユリアは庇うように両手を広げ、出来得る限りの抵抗をしてみせた。
 フィルラーン相手に乱暴は出来まい、クリユスが逃げる間の時間稼ぎ位はしてみせる。
 そう決意するユリアの前に、マルセルは立ち止まる。そして――――。
「お待ちしておりました、大隊長殿」
 彼は己の腕を胸に当てると、深々と頭を下げた。
「―――――え?」
 何が起こったのか解らなかった。今、マルセルは何と言った?
「何度も言わせるな、今の弓騎馬隊大隊長はお前だろう」
 ユリアの後ろで、クリユスがそう彼に言葉を返す。
「私はクリユス大隊長不在の間、一時的に預かっているだけに過ぎませぬ故。お戻り頂いたからには、既にお返ししたものと思っております」
「全く、相変わらず融通の利かない奴だ」
 苦笑するクリユスを、ユリアはぽかんと眺めた。いったい、彼らが何を言っているのかが、全く理解出来ない。
「ク……ク、クリ、ユス?」
 やっと絞り出した声に、クリユスは少し淋しげな顔をしたが、直ぐに涼やかな顔に戻ると、彼女の前で優雅にお辞儀をしてみせた。

「申し遅れました、ユリア様。私はティヴァナ国王軍弓騎馬隊大隊長、クリユス・エングストと申します。以後、お見知りおきを」













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