109: ティヴァナの王2 掌をぎゅっと握りしめ、震えそうになる手を押さえつける。 落ち着け、落ち着いてよく考えるんだ。ユリアは己にそう強く言い聞かせた。 こんな時、クリユスならどう答えるのだろう。彼ならばきっと、友を売り渡すことなどしなくとも、同盟を締結してみせる筈なのだ。 ユリアは周りの者に気付かれぬよう、小さく深呼吸をする。そして彼の言葉を思い出した。 『ティヴァナも本心では同盟を結びたいのだ』と、そう確かにクリユスは言っていた。 だが、ならばどうして、王はこのように無理な要求を押し付けてくるのだろうか。只の使者を相手にしている訳ではない。神の子であるフィルラーンが、幾ら祖国の為とはいえ、同国の兵士を売り渡すような条件を簡単に呑む筈が無い事くらい、分かっているだろうに。 こちらが呑めぬ要求をし、ティヴァナを優位な立場に置こうとしているのか。それともただ単に、同盟云々を脇に置く程腹に据えかねているということなのか。 何とか真意を推し量れぬかと、ユリアは王を見据える。王の目が、ゆらりと揺れた。 (――――――) まただ。また、違和感を感じた。 「どうした、二人をこちらへ引き渡すのか、それとも同盟を諦めて手ぶらで帰るのか、どうするのだ」 「はい、それは……」 苛立ちを見せる王に威圧され、ユリアは思わず顔を背ける。両脇に立ち並ぶ兵士達が、今なお頭を下げたままであることに、彼女ははっとした。 (これは―――もしかすると……) 違和感の訳が分かった。先程から、王と視線が合わないのだ。 王の持つ威圧感に押され今まで気付かなかったが、よくよく見てみると、王の視線はユリアの胸元から足元を彷徨うばかりで、一度も彼女の顔を直視していない。 それは、つまり。 再びユリアは王に向き直る。確証は無い、だが今この場をやり過ごすには、これしか思い浮かばなかった。 「確かに、親が子を想い憤る気持ちまでは神もお咎めにはならぬでしょう。―――ですがそれは、真実に子を思う親が相手の話ならばでございます。偽の王に、彼らを引き渡すことは出来ません」 「な―――――――」 周囲に動揺と緊張が走った。 「何を言い出すのだ、このわしを愚弄するつもりか」 怒気を露わに、王は椅子から立ち上がる。 いや、王ではない。ユリアの推測が正しいのだとしたら、彼は偽の王だ。少なくとも王族に連なる者では無い筈である。 だからフィルラーンであるユリアの顔を、彼は直視することが出来ないのだ。 「ほう…偽の王であると。面白い、何故そう思われたのですかな」 リュシアンと呼ばれていた、先程の金髪の政務官が一歩前へ進み出て、ユリアにそう問う。その眼はどこか挑戦的だった。 「王を愚弄したのです、我らを納得させるだけの根拠を仰っていただかねば、フィルラーンといえど見過ごすわけには参りませぬな」 「簡単なこと、神が ユリアは素知らぬ顔で、にこりと微笑んでみせた。 偽の王とは一度も視線が合わなかったが、このリュシアンという男とは、彼がちらりとこちらへ視線を寄越した時、一瞬だけではあるが目が合っている。 頑なに直視を避けようとしている他の者を見る限り、ほんの一瞬であろうと目が合うこと自体が、彼が王族であるという証に思えたのである。 しかしこんな簡単な推察を口にするより、彼女の唯一の武器である“神の子フィルラーン”を強調したほうが、今後有利だろうとユリアは判断した。 案の定、両脇に並ぶ政務官や軍人達は、恐れをなしたように再びざわめき始めた。この反応をみると、どうやらユリアが口にした内容は、まるっきり的外れというわけでもないようだ。 もっとも、“神”という言い分を聞き、口の端を軽く釣り上げたリュシアンには、何をもってユリアがそう推測したのか、気付いているようだったが。 「リュシアン王子、申し訳ございませぬ。私が至らぬばかりに」 偽の王であった男が、リュシアンの前に跪く。 「よい、神相手では仕方なかろうさ」 皮肉気に言うと、リュシアンは改めてユリアの前で頭を下げた。 「仰る通り、彼は王ではありません。ティヴァナ国王軍総指揮官、テガン・ラウブレルと申す者。そしてこの私は、ティヴァナ国王が第一王子、リュシアン・レヴィ・フェーリクスと申します」 国王軍総指揮官。なるほど、それであの頑強な身体つきに、あの迫力というわけだ。 「この茶番は、一体どういうおつもりですか」 態度を変え、わざと口調を少し強めにしてユリアは問う。 「茶番」 王子は幾分心外そうな顔をする。 「そもそも我が国の罪人を匿っている国が、我が国に同盟を申し入れること自体が無礼なのです。そのような国の使者など、本来門前払いする所でございますが、フィルラーンを追い返す訳にもいかない。故にこうして私が書状だけは受け取っているのですよ。そのうえ王の御前に立とうなど、分不相応であるとお思い下さい」 「では、端から我が国と同盟を結ぶ気など無いと?」 「ありていに言えば、そういう事です」 「な――――」 きっぱりと言い切る王子に、ユリアは二の句が継げなくなる。 どういうことだ、クリユス。これでもティヴァナは、本心では同盟を結びたいと思っているというのか? それともこちらから必死に懇願するのを待っているのか。『ティヴァナはプライドが高い』というのは、そういう事をいっているのか? 「しかし、王にお会いすることも出来ず、同盟の確約も頂かず、このまま帰る訳には参りません」 喰い下がるユリアに、王子は肩を竦める。 「さて、困りましたな。フィルラーンがこう仰っているが、テガン、どうしたものだろうな」 「は、神の子が帰らぬと仰るものを、無理に追い出しては神罰が下るやもしれませぬ」 恭しく頭を下げるテガンの言葉を受けるように、王子は首を傾げ、少し考える素振りを見せた。 「ふむ、では仕方が無い。フィルラーンのユリア様、貴女がこの城に滞在することを許しましょう。ただし、幾らここに留まったからといって、状況が変わるとは思えませんが。ああ―――そうだ」 王子はユリアの顔を覗き込む。 「いっそこのままティヴァナのフィルラーンになられてはどうですか。さすれば王の御前にお目通りすることも出来ましょう。我が国のフィルラーンももうお年を召されておりますからね、貴女のように若く美しい方が後を継いで頂けると、ティヴァナも安泰というものです」 「な……何を言っているのです、そのような戯言を」 思わず一歩後ずさると、再び王子は肩を竦めた。 「やれやれ、あれもこれも出来ぬではこちらも譲歩のしようがありません。まあ、ここに滞在している間、ゆっくりお考えになればよいでしょう。マルセル、客室へ御案内しろ」 「は……」 ティヴァナへ着いた時、最初に彼女を迎えた亜麻色の髪の男が、一歩前へ出て頭を下げる。 勿論同盟を結ぶ事も出来ず、おめおめと国へ戻る訳にもいかない。兎にも角にも、ここへ滞在する許可が下りた事は望ましいことである。ではあるが。 マルセルに案内され、謁見の間を後にしようとした時、ユリアは一度後ろを振り向いた。それに気付いた王子が、にこりと笑顔を返す。 何故だろう、どこか芝居めいたこの一連のやりとりが、罠に嵌ったような気持ちにユリアをさせた。 |
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