103: ティヴァナへ3





 フィードニアの王都ルハラより南にある港街リコンには、近年まれに見ぬ程の人で賑わっていた。
 それもその筈、今日この港から、フィルラーンの少女を乗せた船が出港するのである。
 王都内では“清め”の儀式が街の広間で行われることもある為、庶民でも比較的その姿を拝見する事があるが、その外となると、フィルラーンになど到底お目にかかる機会は無い。
 である為、今日はここぞとばかりに、近隣の街や村から見物客が集まっているのである。
「凄いなぁ、まるで祭りですね。つまりは“フィルラーンの少女”は見世物という訳だ」
 船上から群衆を見下ろしながら、そう口笛を吹くアレクを、ブノワが睨みつけた。
「不謹慎な事を言うでない、それに今日この日のティヴァナへの出立を広めたのは、他でもない我等ではないか。フィルラーンのユリア様が御使者として発たれるのだ、それで集まらねば国の威信に関わるわ」
「まあ、そうですけど」
 眉を吊り上げるブノワに、アレクは肩を竦める。お堅いオヤジだ。全く軍人ってものは、どうしてこう堅物ばかりなんだろう。
 そんな事を考えていたら、ついつい今までアレクにとって堅物の代名詞だったユーグの顔を思い出し、慌てて顔を横に振る。あれは偽の顔だったんだ、何をいつまでも未練たらしく奴の事なんかを思い浮かべているんだよ。
「あ、ブノワ殿、ほら“フィルラーンのユリア様”を乗せた馬車がやっと到着しましたよ」
 思考を停止させて再び目を群衆へ戻すと、その歓声の先に豪奢な馬車から下りて来る一人の少女の姿を発見した。
 少女はフィルラ―ンしか身に付ける事を許されていない、ラティと呼ばれる純白に金の刺繍を施した布を頭から深く被っている為、顔は恐らく群衆にはあまり見えていないに違いなかった。唯一、金の髪が布の隙間からさらりとこぼれるのが見えるのみである。
 そして馬車から下りる少女の手を取るのは、騎馬隊大隊長ハロルドである。総指揮官であるジェドがこの役目を担うのが本来の姿であろうが、彼は拒否したようだった。なんともやる気の無いの上官だと、アレクは己の事は棚に置いて呆れたものだった。
「ちえっ。いいなあ、俺があのお役目替わりたかったですよ」
 群衆の注目をすべて集め、その中心で高貴な身分の少女の手を引くハロルドの姿が、格好良く見えて仕方が無い。ついでに言えば、あの赤い髪もフィードニアにはあまり無い色の髪であり、魅惑的だと密かに女に言われている事をアレクは知っていた。
「ちえっちえっ! 顔は俺の方が良いってのにさ」
 一人憤慨し始めるアレクの頭に、ブノワの拳固が飛んだ」
「さっきから何をぶつぶつとほざいておるのだ、そろそろ持ち場へ付かんか」
「はいはい、分かりましたよ」
 アレクは尚もぶつぶつと呟きながら、船室へと降りて行く。そして“フィルラーンの少女”の為に用意した一番豪華な部屋の近くの一室に入ると、剣を鞘からすらりと抜いた。
「――――いつでも来い、ユーグ」
 お前を止めるのは、この俺だ。

 群衆に歓声と共に見送られながら、船は港を出港した。
 “フィルラーンの少女”の船室の前には、ハロルドが番犬のように警備に当たっている。甲板にはブノワが、船首にはフリーデルが、船尾にはマルクが配備され、その部下達もまた船中に配置されている。
 アレクの直属の上官である第四騎馬中隊長は、王都の警備に当たっている為乗船してはいなかったが、アレクはどうしてもとクリユスに頼み込んで、単身この任務に参加させて貰ったのだ。
 使者としてティヴァナへ向かう船が襲われるやもしれぬと言いだしたのは、クリユスだった。
 幾らなんでも神の子であるフィルラーンを襲うなどという、太古の神々からの約定を違えるような行為を成すとは、例えトルバが相手であっても皆直ぐには信じられぬ様子だったが、クリユスが「必ず襲撃はある」と断言した為、今回のこの手厚い警備に至ったのである。
 何故それが分かるのか、という問いに、クリユスはたった一言「ロランが知らせてくれたのだ」と答えた。
 ロランの死を知っているアレクは、その場が解散となった後、クリユスを追いかけどういうことか更に問い詰めた。するとクリユスはこう答えたのだ。
「ユーグに付けられた歯形に意味があるとお前が言った時に、俺も気付いたのだ。ロランの遺体の手には、包帯が握られていた。あの包帯はユリア様がロランの傷の手当てをした時のものだ。歯形がロランの声ならば、包帯にも意味があるに違いない。つまりはユリア様の危機を我々に知らせてくれているに違いないのだ」
 ああ、そうか、とアレクは思った。内通者を知らせただけでは無い。最後にロランは、惚れた女の命もしっかり守ってみせていたんじゃないか。
 全く、格好の良い事をしてくれる。
「けどお前一人だけに格好付けさせてやる訳にはいかないぜ」
 必ずユーグはこの手で倒してみせるからな、ロラン。
 ロランが最後に残したその包帯を、アレクは遺品として譲り受けた。それをアレクは、ぎゅっと握りしめる。
 その時、船体が何かに当たったような衝撃が起こり、部屋が大きく揺れた。

「敵襲だ、敵襲!」
 兵士の一人が敵襲を知らせ、船内を走りまわる。それと同時に甲板の方から剣を合わせ戦う、激しい喧騒が聞こえた。
「―――――来たか……!」 
 包帯を懐にしまい、すぐさま部屋を飛び出すと、廊下を警備していたハロルドと目が合う。ここは任せろ、と視線を寄越すハロルドに頷き返し、アレクは騒ぎ声のする方へ走った。
 甲板へ出る階段の手前で、船内に潜入してきた敵を発見し剣を合わせた。海賊のような格好を装ってはいるが、剣の使い方や身のこなし方で、戦いにおいて訓練された者だと分かる。
(当たり、だな)
 アレクはにやりと笑った。トルバの暗殺部隊だ、間違いない。
 目の前の敵を斬り伏せ、再びアレクは走る。階段を駆け上がり、甲板へ出た。
「ユーグ……!」
 甲板は既に戦場と化している。敵味方がごちゃごちゃになり、まさに乱戦だった。
「ユーグ、どこだ……!」
 必ずユーグは来ている筈だ、立ちふさがる敵と剣を合わせながら、アレクは甲板の上を進んだ。
「出て来い、ユーグ!」
 ―――――いない?
 甲板を動き回り叫び続けたが、その名に反応する者も、それらしき姿も無い。
 もう既に船内に侵入しているのか。
 そう思い、慌てて“フィルラーンの少女”の部屋へ駆け戻るが、丁度敵を切り伏せ終えたハロルドは、額の汗を拭いながら「ユーグの姿はまだ見ていない」と答えた。
 ユーグは来ていないのか? “フィルラーンの少女”を狙うのなら、必ず奴も来る筈だと思っていたのに。
 まさかと思い、アレクは“フィルラーンの少女”の部屋の戸を叩くと、中へ入る。
 豪奢な部屋の中で所在なさげに佇む少女は、少し怯えたようにアレクを見た。大丈夫だ、無事だった。ではやはりユーグはここへは来ていないのだ。
「大丈夫です、この部屋には決して敵を入れさせはしませんから、安心して下さい。必ずあなたは我々が守ります」
「は、はい……」
 少女は安堵した表情を見せた。ラティは既に取ってしまっている。恐れ多くて、いつまでも着用してはいられなかったようだ。
 顔にはそばかすがある。金の髪はかつらだった。 
 彼女はフィルラーンの塔に仕える侍女であり、フィルラーンのユリア様の替え玉としてこの船に乗っているのだ。
 替え玉を乗せたこの船を襲わせ、その隙に本物のフィルラーンの少女は別の船でひっそりと出港する手筈となっている。この作戦は上手く行ったかのように思えた。
 だが、ユーグがいない。
 ざわりと悪い予感が胸中でざわめくのを、アレクは背中を伝う冷や汗と共に、感じていた。












 フィードニア王都南方よりもやや東側に位置する小さな港町から、ユリアを乗せた貿易船はひっそりと出港した。
 それはリコンの港から出航した華々しい船とは比べ物にもならぬ程の質素な船である。いや、他の貿易船に比べてみても、些か貧相であろうか。
「このような船で、申し訳ありません」
 言葉通りに申し訳無さそうな顔をするクリユスに、ユリアは笑みを見せる。
「無事にティヴァナへ着く事が出来るのならば、船など何でもいい」
 そんな事、本当にどうでもいい事だった。それよりも今のユリアにとって、少しずつ離れて行くフィードニアの地に心が残っていた。
 船の甲板に立つユリアは、ゆっくりと遠ざかって行く港町をただ黙って見守る。その町並みに誰かの姿を探しているのだということを、ユリアは自覚していた。
 ジェドとは、ティヴァナへの使者として発つ事で揉めて以来、険悪なまま会ってはいない。もしかしたらもう二度と会う事が出来なくなるかもしれないというのに、せめて謝るべきだったのではないかと、後悔が後から後から押し寄せる。
 そんなつもりは無かったのに、結果的に戦場で失われる命について、ジェドを責めたような形となってしまっていた。いや、それだけではない、ジェドが戦場へ出ることになったきっかけをユリアが作ってしまった事も、ジェドの両親から彼を引き離してしまった事も、何もかもを未だ謝ってさえいないのだ。
 許してくれる筈もないと分かっていても、それでもどうして謝る事が出来なかったのか。
 だが今更悔やんだ所でもう遅い。
 幾ら未練がましく町を眺めた所で、ジェドが見送りになど来る筈も無いし、船はもう港に戻る事は無いのだ。
「ユリア様、そろそろ船室へお戻り下さい。潮風にあまり長く晒されていては、お身体が冷えてしまいます」
「ああ……そうだな」
 仕方が無いのだ、今はティヴァナとの同盟を成すことだけを考えよう。
 視線を港から無理矢理外し、クリユスに促されるまま、ユリアは船内に戻ろうとした。
 その時、船尾の方からこつん、と小さな音が聞こえた。何だろうと思ったユリアはふと振り返り、そのまま身体を強張らせる。

「見ぃーつけた」

 船尾楼に一人の青年が腰かけている。
 男は猫のように目を細くし、楽しそうに笑った。













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