――約束の印―― 「ユリア様、飲んでおられますかな」 カベル・グイザードの連合軍を打ち破った後、いつものように戦勝の宴が開かれた。 先日、酒に毒が混入されるという暗殺騒ぎがあったばかりで、良く皆酒など飲む気分になるなと、ユリアは不思議に思ったものだったが、兵士達はさして気にしていないようである。命の危惧より酒を喰らう方が大事とは、呆れたものだ。 その席で酒瓶を片手にユリアに話しかけて来たのは、騎馬隊大隊長に任ぜられて間もない、ハロルドだった。 「いえ、私は……」 「毒なら入っておりませんよ、この私が既に毒見をしてありますから」 よく見ると酒瓶は既に半分位になっている。その前にももう随分飲んでいるのだろう、酒豪であるらしいハロルドが、酔いをみせていた。 「さあ、どうぞユリア様」 グラスを押しつけられ、仕方が無くユリアはそれを受け取る。 元がシエン兵士であった為に、中々フィードニア兵士達に受け入れられずにいたハロルドが、最近ようやく皆に認められるようになったのだ、その嬉しさを隠しきれないでいる彼を、共に祝ってやりたいという気分にもなった。 (しかし、酒はもう二度と飲まぬと心に決めていたのだが……) ユリアは以前酒を飲み過ぎて記憶を失うという、フィルラーンにあるまじき失態をしでかしている。しかも翌日の気分の悪さと言ったら無かったのだ。ここは付き合う振りでもしていればいいか……。 そう思いながら、一口葡萄酒を口に含む。 「まあ……美味しい」 それはとても深くて甘く、だがすっきりとした後味のする葡萄酒だった。酒を飲んだ事は数える程しかないユリアだったが、その中でも一番美味しいと思える葡萄酒である。 「そうでしょう、私のとっておきの酒を持って来たのです。まだ他にもありますから、どんどん飲んで下さい」 そう言いながら彼はユリアのグラスに再び酒を注いでくる。 「……じゃあ、もう一杯だけ」 彼女のその返答に、ハロルドは満面の笑みを見せた。 もう一杯だけ。酔っぱらい相手にそれで済む筈が無い事を、ユリアはまだ知らなかった。 気付いた時、ユリアは木の下に居た。 ああ、これは夢だとユリアは思う。なぜならば、自分の隣には少年の姿をしたジェドがいたからだ。 その少年よりも更に小さなユリアは、手に草花を持ち、花冠を編んでいた。 「できた。はい、ジェド」 ユリアはジェドの頭と、自分の頭にそれぞれの花冠を乗せた。 ジェドには青い花の花冠、ユリアには白い花の花冠である。 「ほら、王子さまとお姫さまよ」 嬉しそうに笑う小さなユリアに、ジェドは困惑したように首を傾げる。ジェドはごっこ遊びなどというものを、知らない少年だった。 「王子さまはお姫さまを悪者から救いだすのよ。そしてふたりは結ばれるの」 「へえ……」 やはりジェドは困惑した顔のままである。 ユリアは諦めて再び花を摘み始めた。ブーケのようになった花束を持ち、ユリアは再びにっこりと笑う。 「ほら、花嫁さんよ。わたし、おとなになったらジェドのお嫁さんになる」 「嫁……俺の」 そのまま黙り込んだジェドの顔を、ユリアは覗き込んだ。 「だめ? ジェドはいや?」 「い……いや、そんなことは無い」 困った顔に、幾分赤みが差す。 「ほんとうに? じゃあ約束ね……!」 ユリアはジェドの頬に軽く口づけする。 目を丸くし耳まで真っ赤になったジェドの顔を、珍しそうにユリアは眺めた。 再び気付いたら、今度は大人のジェドの顔がすぐ傍にあった。 これもまた夢なのだろうかと、ぼんやり彼の顔を眺めていると、その視線に気づいたジェドは眉間に皺をよせた。 「目を覚ましたか。全く懲りん女だな、何度この俺にお前を運ばせるつもりだ」 その言葉が咄嗟には理解出来なかったが、暫らくしてユリアは今自分がジェドに抱えられているのだということに気付く。 今のこの状況も良く解らない。何故自分はジェドに抱えられているのだろうか。 思い出そうとしても、頭がふわふわとしていて何も考えられない。きょとんとしているユリアに、ジェドは微かに口の端に笑みを作った。 「まあ酔っ払いに幾ら説教した所で、無駄というものだな……」 ああ、やっぱりこれは夢の続きなのだとユリアは思った。そうでなければ、こんな風にジェドがユリアに笑みを見せる筈が無いのだから。 「ふふ」 ユリアは思わず笑ってしまった。 大人になったジェドに抱きかかえられる自分は、まるで王子さまに救い出されたお姫さまのようではないか。 先程見た幼少の頃の夢の願望を、そのまま叶えるようなものを続きとして見られるとは、なんとも夢と言うものは都合の良いものである。 「何を笑っている」 怪訝そうな顔をするジェドも、いつもの刺々しいものが影を潜め、どこか優しささえ感じられた。 このままずっと目が覚めなければいいのにと、ユリアは思う。 「あれ、無い。花冠が無い」 ふと自分の手に何も持っていないことにユリアは気付く。先程の夢の続きなら、この手に握られてなくてはならないものだ。 「花冠?」 「そうだ、花冠とブーケが無いんだ。約束したのに。あれが無いと続きの夢が見られない……」 「何を言っている、そんなもの初めから持ってなどいなかったぞ」 「嘘だ、ジェド、戻って。探さなくちゃ……」 戻ろうと身を乗り出すと、ぐらりと眩暈がした。何だろう、焦点が合わない。 「おいユリア、暴れるな」 そう言われても、もう遅かった。身を乗り出したまま、ユリアはジェドの腕からこぼれ落ちる。暗闇の中落下する感覚がユリアを襲ったが、だが床に倒れ込んだというのに、身体のどこにも痛みを感じなかった。 ああ、そうか。夢だから落ちても痛くは無いんだ。 そう妙に納得していると、徐々に視界と感覚が戻って来る。なんだか床が暖かいとぼんやりユリアは思った。 「……あれ、何をしている。ジェド」 目を開けると、自分の下にジェドが寝転んでいる。何をふざけているんだろう、変な夢だ。 「何をしている、ではない。この酔っ払いが……」 ユリアの下でジェドは溜息を吐く。何だかまた可笑しくなって、ユリアはくすりと笑った。 「懐かしいな。リョカに居た時、よくこうして草の上で寝転がっていたものだったな」 そう笑いかけるユリアに、ジェドは昔を懐かしむように目を細める。しかしすぐに目を逸らすと、「そんな昔の事、忘れたな」と呟いた。 「いいから俺の上からどけ、重い」 折角の夢の中だというのに、そんな事を言う彼にユリアは切なくなる。 「何を言っている、ついさっきはお前も子供だったじゃないか。大人になったら私をお嫁さんにしてくれるって言ったのに、それも忘れたのか。酷い」 何だか泣きそうになってきた。夢でさえ、ジェドは私を拒否するのだろうか。 「……酷い」 涙を滲ませるユリアを見上げながら、ジェドは困惑の表情になる。 そっとユリアの目元に手を伸ばすと、その指が彼女の涙を拭う。 「参った、お前は泣き上戸らしいな。……眠りこけている時に幼い日の夢でも見ていたのか。どうりで先程から言動が子供っぽいわけだな。そしてどうやら、今はお前にとってその続きという所らしい」 ジェドはそう苦笑する。困惑の表情と、優しい笑み。それが幼かったあのリョカの少年と重なる。 ずっと会いたかった、私のジェド。ずっとずっと、好きだったんだ。 夢でもいい、それでもその笑顔に会えて、ユリアは凄く幸せな気分になった。 「ねえ、ジェドはずっと私の傍に居てくれる?」 その問いに黙り込んだジェドに、ユリアは心細くなる。夢なのだから、せめて夢くらい、いいよと言って欲しい。どんどん貪欲になっていく自分を、抑える事が出来なかった。 「嫌?」 子供の頃と同じように、ユリアはジェドの顔を覗き込む。お願いだから、嫌じゃないともう一度言って。 ジェドが再びユリアの方へ手を伸ばし、その頬に触れた。ユリアはその手に、そっと触れる。 温かい。 不思議だな、痛みは感じないのに、温もりはこうして感じるなんて。 「………お前が、それを本当に望むのならな」 ジェドがどこか遠くをみるように、そう呟いた。 「本当に? 約束だよ」 ユリアはとたんに嬉しくなり、ジェドの頬に口づける。 「おい」 子供の頃と同じように目を丸くするジェドに、ユリアは自分の頬を指さしにこりと笑う。 「ほら、ジェドも」 「…………………」 彼は暫らく沈黙したあと、深い深い溜息を吐いた。 「……取りあえず、そこからどけ。俺は乗られるよりも乗る方が性に合っているんだ」 「え?」 ジェドがユリアの両腕に手を伸ばし、次の瞬間にはころりと転がされた。 あっという間に体勢が先程と逆になっている。 「おいユリア。幾ら酔っているからといって、いい加減にしないと酷い目に会わせるぞ」 「ジェド……?」 きょとんとするユリアに、目の前の青年は苦笑する。 「……嫌な奴だ。どうせ明日になったら全てを忘れ、この俺に嫌悪の目しか見せぬくせに……」 「何を、言……」 ジェドはユリアの唇に、己の唇を重ねる。 「約束の印は頬に口づけするものなのに……」 そう不満そうにユリアが呟くと、ジェドは可笑しそうに笑った。 翌日、ユリアは重い頭を抱えて寝台から降りる。 頭痛と吐き気が彼女を襲った。 「まあ、ご気分が優れないようですわね、ユリア様」 そう心配そうにダーナが顔を覗き込んでくる。 「ハロルドに付き合って酒を飲んでいたところから、記憶が無いんだ……私はどうやって部屋へ戻ったのだろう」 眉間を抑えながら呟くと、ダーナが申し訳なさそうな顔をした。 「わたくしも昨夜は兵士の皆様のお酒を注いで回っておりましたら、ユリア様の姿がいつの間にかお見えにならなくなっておりまして……慌てて塔へ戻ってみたら、ユリア様は既にご自分の寝台でお休みになっておられました」 申し訳ありません、とダーナは眉を下げる。 「世話役でありながら、ユリア様のお傍から離れるなんて、わたくしとした事が……」 落ち込みかける世話役の少女に、ユリアは慌てて首を横に振る。 「いや、いいんだ。兵士達の前で無様な姿を晒していないのならそれでいい。記憶には無いが、それなら一人で部屋に戻ったのだろう」 ユリアは笑顔を作って見せた。ダーナを心配させない為というのもあるが、二日酔いの気持ちの悪さを除けば、なんだか不思議と気分が良い。まるで良い夢を見た後のように、心が弾んでいた。 「以前クリユス様に教えて頂いた、二日酔いに効く薬草をお出ししますね」 「ああ、ありがとう」 ダーナは部屋を出て行こうとし、ふと振り返った。 「そういえば、ジェド様からご伝言がありましたわ。“もうおまえは二度と酒を飲むな”と……」 「何」 それを聞いて、ユリアは一気に気分が悪くなる。 「余計な世話だと言っておいてくれ。幾ら酔ったからといって、お前にだけは迷惑などかけはしないと」 「はい」 にこやかな笑みを残し、改めてダーナは部屋を出て行く。 残されたユリアは、一人溜息をついた。 全く、あの男は私のやる事の何から何までが気に食わないのだ。折角気分が良かったのに、奴のせいで台無しである。やっぱり、嫌な奴だ。 「お前の事なんか、やっぱり好きじゃ無いんだからな」 兵舎の方向に向かって、ユリアは思い切り舌を出してみせた。 |
100話記念のリクエスト企画に書いたものです。 お題は「ジェドとユリアのらぶらぶな話」 リクエストして頂いたりん様、柚逢様。 ありがとうございました。 ×ウィンドウを閉じる× |